ひととき「やっぱり『遠ぼえ』?」に反響多数


今日も朝日新聞からです。

「どんなに美人で仕事ができても、30代以上、未婚、子どもナシは、『負け犬』」と言い切るエッセー「負け犬の遠吠え」(酒井順子著、講談社)が話題を呼んでいる。自らも「負け犬」という9日付のひととき「やっぱり『遠吠え』?」に、多数の反響が寄せられた。共感や反発にまして多かったのが、「勝ち負けではなく自分を大事にして」といった意見。迷いながら生き方を探る女性たちの思いが浮かんできた。

投稿趣旨
「30代以上、未婚、子どもナシ」は「負け犬」だというエッセーを読んだ。36歳独身の私も立派な負け犬。「毎日家事をし、亭主や子どものことでイライラなんてごめん」と心の中で吠える。反面、子連れの母親を見ると自分にもあのぐらいの子がいてもいいのに、と考えてしまう。「私は幸せ」と言わんばかりの家族の写真付きのクリスマスカードや年賀状を見て、「主婦だっていいことばかりじゃない」と思うが、これも負け犬の遠吠えなのか。(茨城県下館市・36歳)

「負け犬」=「不幸」ではない  酒井順子さん(37)
「負け犬の遠吠え」の著者で「負け犬」を自称する酒井順子さん(37)に聞いた。
昨秋の出版以降、複数の雑誌から特集を組みたいという取材依頼がありました。予想以上の反響ですね。私は論争をしようとか、「負け犬」を元気づけようとか思ったわけではないんです。ただ「負けてない」と言い張る人たちに痛々しさを感じていて、「だけど世間では私達は『負け犬』と思われているわけで、その事実を自覚した方が楽なのでは?」というつぶやきのつもりだったのですが。
本を出して分かったのは「勝ち犬」の多くも「負けてる」意識を持っているということ。「子育てが大変」とか「生活が苦しい」とかみんな負け自慢をしたがっている。それぞれがそれぞれの小さな「負け感」を大切に育てているというのが現状なんでしょう。
「私は負けてない」と反発する人や、勝ち負けをタブー視する人ほど、実は勝ち負けにこだわっているような気がする。
私は「負け犬」と書いたけれど、それは不幸だということではない。この本での「勝ち」「負け」は、結婚の一点に焦点をあてた区別であって、どちらが上でもなく、あくまでも並列関係。それぞれが個人的満足感を追及していけばいいのではないでしょうか。

この区別でいえば、私は「半分負け犬」?
38歳、既婚、子どもナシ。
子どもは、意図的につくっていない。育児をしたくないからだ。たぶんこれからも持たないと思う。
ちょっと前までは、仕事をしていた。今は専業主婦。正直なところ、もう仕事はいいや、と思っている。
子どもも要らない、仕事も要らない。これも遠吠えなのだろうか?

紙面に載っていた反響で、私の目を惹いたもの
結婚、出産、育児という生き方の方が、勝ち負けをつけられる場面が多い。夫の職業、マイホームの有無、子どもの受験の合否などきりがない。人間である以上、誰かと比べ一喜一憂してしまうのは仕方ないかも。

ああー、なるほどなあ。確かにそうかも。
だけど、私にはぴんとこない。
これはやはり、子どもがいないからだと思う。ママ友達がいないから、比べる相手がいないのだ。
夫は、いまだに平社員だが、出世を切望しているわけではない。
家は持ってるけど、もしも借家住まいだったとしても気にしないと思う。

ご推察通り主婦はつまらない。でも『勝ち犬』は吠えたり、かみついたりはしない。それは誰かのために自分を殺す忍耐を、子育てを通して学んでいるから。夢を言い訳に、忍耐をさけて通ろうとする女性はやはり『負け犬』

なんか、この人の言い分も「遠吠え」のような気がするんですけど(笑)

いつの頃からか、年賀状が憂うつになってきた。子どもの写真入り年賀状に、自分が独り身であることをいやというほど思い知らされるからだ。結婚したくないわけではないが、焦りもない。「負け犬と言いたい人には言わせておけばいいさ、とうそぶくしかないのでしょうか」

これはよく聞きますね。
結婚していて子どもが欲しいのだけれどもできない、という人も、子どもの写真入り年賀状に凹むみたいですね。
私は、楽しんで見ますね、子どもの写真入り年賀状。友達の近況を知ることができるし。

「自分の時間はどこに消えてしまったのか。一人暮らしはさぞ気楽でいいだろう」

あははは、これは私もしょっちゅう思っています。

Posted: 金 - 1月 23, 2004 at 09:01 午後              

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