ただ愛してる
これは、私の好きな作家島村洋子さんのエッセイのタイトルだ。
なので、まったく同じではちょっとな〜、と思っていろいろ考えたのだけれど、どうしても今回の内容にはこれしかなかったので、とりあえずこれにした。
後日ひらめいたら変更するのでよろしく。
今ごろの季節、私はほんとうに気がヘンになっちゃうんじゃないかと心配になるくらいの、恋をした。
なんたって、眠れないのである。
なかなか眠れない、のではない。
まじで一睡もできないのだ。のべ2週間くらい、その人は私を眠れなくした。
たまげた。
でもって、どんどん気持ちはせつなくおセンチに女っぽくなっていった。
とうとう「この人のこどもだったら産みたい」とまで思った。
こんなこと思ったのは、後にも先にもこれ1度きりである。
たまげた。
知りあったときにはすでに、数ヶ月後に遠くに行ってしまうことがわかっていた。
だから、夏が死ぬほど!好きな私は、この人の姿を見ずに過ごす夏はつらくなりそうだなあと思い、また、遠くに行ってしまうことが残念で「春なんか来ないで」とつねづね思うようになった。
夢は、「夕涼み」だった。
夕方シャワーを浴びて、濡れた髪のまま洗いざらしのTシャツを着て、一日が終わるのをふたりでぼんやりと眺めたかった。
その人はそういう格好がとても似合うような気がした。
舞台は茅蜩が雨のようにさざめく日本家屋の縁側でもよかったし、平和を絵にしたような人工都市のアパートのベランダでもよかった。
ところが結局春はやって来て(あたりまえ)、彼は旅立って行ってしまった。
私は「気がヘンになりそうなくらいあなたが好きなの」と爆弾告白をした。
彼は言った。
「知ってました」
こんなこと言えるのは、ハリソン・フォード演ずるハン・ソロと彼だけだろう。
ふしぎなことに、当たって砕けてしまったのに、私はちっとも傷つかなかったのである。
どうして?
私は考えた。
出た答えは次のふたつである。
1.あまりにもファナティックに彼を愛するあまり、拒否されたことが認識できない。
2.諸般の事情で受け入れることができず言葉の上では拒否したが、心の中はそうでなく実は彼も私のことを好きで、それが私に伝わった。
自己欺瞞などまったくないと信じて欲しいが、私はどっちが本当なのか、わからない。
本来の私の性格だと、2の考えは普通は浮かばない。
どうしてこんな図々しい考えを持ったかというと、それには根拠がある。
あるとき、その人は私にこう言ったのだ。
「ぼくと性格が似てるのかもしれない」
気に入らない人に「自分と似てる」とは普通言わないでしょう、と私は舞い上がって喜んだ。死んでもいいくらい、嬉しかった。
とまあ、ささやかな思い出ばかりなのだが、結局その人にはその春が来てから一度も逢っていない。
電話は3回だけした。
酔って無性に淋しくなった夜。
人生投げたくなるくらい悲しいことがあった日。
その人の誕生日。
日付が変わった5分後に、電話をした。
凍てつく、空気までもが凍りそうな夜だった。
「お誕生日おめでとう」と言ったら「どなたからの電話かと思いましたよ」と、ちぐはぐな言葉づかいで答えた。その後ろから、にぎやかなざわめきが聞こえた。酒の席のようにも聞こえる。接待でもしてるのだろうか?「仕事中?」「ええまあそうです」「ごめんね。じゃ、用件はそれだけだから。元気でがんばってね」「はい、ありがとうございます」
久しぶりに声を聞いて、なつかしくて涙が出そうになった。
最後に逢ったのは、ホワイトデーのプレゼントをもらうためのデートだった。
最後だから、とびきりきれいな私を覚えていて欲しくて(覚えていてくれるならね)、キモノを着ていった。
春の百花繚乱を閉じこめたような、淡いピンクが基調の小紋。
その日以来、袖を通していない。
別に、取っておくつもりではないが、気がついたらそうなっていた。
実際の彼は、最後に逢ったときと変わっているかもしれない。
が、私の中の彼は永遠に24歳のままだ。
それでいい。
彼が恋をして結婚しようが、病気になってはかなくなってしまおうが、この際関係ないのだ。
ただ愛してる。
それだけだ。