A PIECE OF PEACE

heiwa no kakera

精いっぱい笑ったり泣いたり怒ったり落ち込んだりしても
MARICOの毎日は
とどのつまり平和のかけらなのです

 

2003年 3月

3月31日(木)

 年度末。
 今日は後方事務だった。窓口の数よりも窓口担当者の方が多かったので、私はあぶれてしまった訳。
 だいぶ慣れたと思う一方で、他の仕事に就いた方がいいのではないかと考える。
 なぜかというと、今の仕事はパソコンを使わないから。
 一応国家資格(たかが初級シスアドですけど)を持っているからには、それを生かす仕事をしたいという思いを払拭できない。
 それよりも何よりも、パソコンに触っているのが好きだし。
 銀行は活気があるけど慌ただしくて、大学や研究所のひっそりとした空気がなつかしい。
 「パソコンを使う仕事をした方がいいと思う?」と家人に聞くと「考えようだね」と答えた。
 「それはどういう意味?」とさらに聞くと「銀行業務だってだれにでもできる訳じゃない」と答えた。
 たしかに。
 でもなんだか最近しんどい。
 とりあえず、ギブアップするまでがんばってみよう。
 
 

3月27日(木)

 だいぶ元気になった。
 今日は窓口で、大きな失敗もなく業務終了した。
 そのかわり、日付の記入が抜けていたり印鑑の押し漏れなどがちょこちょこあった。
 そういうつまらないミスをなくすようがんばろう。

3月26日(水)

 体調があまり回復しなかったので今日も休ませてもらおうとしたが、人が少ないとのことで1時間遅れで出勤した。
 やっぱり体調が万全でなかったので、大きなミスをしてしまった。
 へこんだ。

3月25日(火)

 朝起きると喉が嗄れていた。
 昨日体調が悪かったのはかぜだったらしい。
 またたくさんミスをするのは嫌なので、仕事は休んだ。

3月24日(月)

 今日は窓口ではなく、後方事務の仕事をした。
 しかし、体調が悪くて集中力を欠き、ミスをたくさんした。
 夕方からは頭痛が治まらず、帰宅してすぐに寝てしまった。

3月23日(日)

 どうしてこう、眠いのだろう。
 眠い頭でTOEICの試験に臨んだ。うーん、今までで最低のできかもしれない。
 次回はキャンプと重なりそうだし、受験料のムダのような気がするから、もうちょっと自信をつけてから受けることにしよう。
 今日は「Good Luck!!」の最終回だ。

 みました、Good Luck!!
 黒木瞳が泣いたところで私も泣いてしまった。

3月22日(土)

 午後、半日寝て過ごしたタイダな1日。

3月21日(金)

 お彼岸の中日なので、両親と弟と私で、父方の祖母のお墓参りと数日前に入院した祖父のお見舞いに行った。
 まず、祖父が入院している病院へ。
 色々事情があって、祖父に逢うのは8年ぶりだ。
 小学校1年の秋まで父の実家で祖父母と同居していて、私は初孫だったので祖父には大変可愛がってもらった。
 ごたごたがあったとはいえ、あんなに可愛がってもらったおじいちゃんに8年も逢わずにいたなんて・・・。
 病室に入ったが、祖父は私と弟がわからなかったらしい。
 「真理子だよ」と言うと、おじいちゃんは「元気になってよかった」と涙をこぼした。
 そう、最後に逢ったとき、私は病気で仕事を休職していたのだ。
 「今はどうしてる?」と聞かれ「常陽銀行でパートで働いてるよ」と答えたら「そりゃあ、たいしたもんだ」と喜んでくれた。
 って、おじいちゃんは私が以前勤めていた他の銀行の役員OBなのに(笑)
 「おじいちゃんの銀行じゃなくてごめんね」と言ったら「そんなこといいんだよ」笑っていた。
 だいぶおしゃべりしたので、おいとますることにした。
 それから、おばあちゃんのお墓参りに。
 ごたごたがあったので、私にとっては初めてのお墓参りだ。
 おばあちゃんにも可愛がってもらったっけ。母が家事に明け暮れる毎日、私を子守したのは祖母だった。
 それから、父の実家へ。この家には父の妹が住んでいて、和田家を継ぐのは長男である父ではなくこの叔母ということになっている。このへんの事情が8年も隔ててしまった年月を生み出しているといえる。
 叔母の家は敷地内の畑を宅地にして家を新築し、おじいちゃんと叔母一家が住んでいる。そして、私が幼少時代を過ごした家屋は現在廃虚となっている。
 懐かしいので、廃虚を見てきた。傾斜面に立っている家なので、玄関まではゆるい坂道になっている。
 春、明るい日差しに中、坂道に置かれた飛び石の周り一面にデイジーが咲き誇っていた記憶がよみがえる。
 この土地を離れてから、もう30年も経ってしまったのだなあ。
 とても感傷的な気持ちで帰路についた。
 
 

3月20日(木)

 今朝起きたら喉が嗄れていた。
 昨日の体調不良はかぜぎみということだったらしい。
 さて、今日は待ちに待ったフレッツADSLの工事日。
 9時ジャストに「今から工事です」という電話が入った。
 20分ほど待って、接続ツールをインストールして作業完了。無事開通した。
 速い。
 これだったらISDNに戻す必要はなさそうだ。
 買い物をした後、ものすごく眠くなったので昼寝をした。夕方まで眠ってしまった。
 かぜぎみの体が休養を要求していたのだろう。
 夜、ヤフーオークションでブロードバンドルータを落札した。
 届くのが楽しみだ。
 

3月19日(水)

 ここ数日、仕事が終わるとどっと疲れていた。
 今日も、体中のエネルギーがすべて放出されてしまったかのようにくたびれ果てて帰宅。
 これはとても踊れる状況じゃないので、ダンスは泣く泣く休むことにした。
 無念である。

3月18日(火)

 我が家もいよいよブロードバンドの仲間入りということで、あさってはADSLの工事。
 というわけで、今日、NTTから宅配便でモデムが届いたのだが、LANポートがひとつしかないものだった。
 スーパーの店頭でのデモで、4つポートがあるものを見ているので「なんじゃこりゃあ!」と憤った。
 これから加入する人はすべてその4ポートのモデムになると思っていたので、申し込むときにこちらから何も言わなかったのだが、端末の台数(うちは3台)も確認せずに1ポートのものを送ってくるとわ!けしからん!!
 明日、交換してもらうようお昼休みに電話しよう。

3月17日(月)

 今日は窓口だった。
 ちょこちょこ小さなミスはあったが、おーまいがっ!なミスはなかった。
 この調子でがんばろう。

3月16日(日)

 寝てばかりの、タイダな週末だった。
 礼拝にも行かず、町内会の公園清掃もさぼってしまった。
 むー、こんな生活イカン!

3月14日(金)

 今日も研修。
 今日は採用時基礎コース。
 昨日は端末操作だったが今日は聴くだけなので、とても退屈だった。
 帰宅すると、王子Bとミムジュンさんからホワイトデーのプレゼントが届いた。
 どちらも「こんなにもらっていいの?」的な内容で、恐縮。
 さっそく王子Bからの焼き菓子を食べ、ミムジュンさんからのキャンディをなめながらこれを書いてます。
 ありがとうございました。

 

3月13日(木)

 今日、明日と研修。
 今日は流動性1コース。友部にある研修センターは、まるでホテルのようだ。
 研修の内容はすでに知っていることが多かったが、今まで知らなかったことも少しあったのでよかった。

3月12日(水)

 今日も仕事は休み。、
 夜、ダンスのレッスンに行った。

3月11日(火)

 今日は窓口担当者が5人も出勤だったので私は後方事務になった。
 お昼休みの1時間だけ、窓口に出た。
 締めるのに手間取ってしまったので、これからは手早くやりたい。

3月10日(月)

 今日、仕事は休み。
 また、家人はストーンズの武道館コンサートで泊まり。なので、お弁当箱が邪魔になるためお弁当作りもなし。ということで、ゆっくり朝寝坊。
 洗濯をし、お昼を食べたのだが、まだ疲れが残っているようなので昼寝をした。
 夕方まで寝てしまった。
 ガソリンスタンドへ給油と洗車に行った。
 夜、「キューティ・ブロンド」を英語の字幕で観た。この映画を観ると元気が出る。
 さて、あしたは3日ぶりの仕事だ。ミスをしないよう、がんばろう。

3月9日(日)

 5時に犬に起こされる。
 テントの外に出してやり、私はまだ暗いのでシュラフの中でじっとしていた。
 6時に明るくなったのでテントの外に出ると、同時にコースケ隊員も起きてきたところだった。
 コースケ隊員がコーヒーを淹れてくれた。
 それを飲みながらおしゃべりをする。
 おおかた起きてきたところで、コースケ隊員がまたもや手打ちうどんを用意してくれた。
 夕べは温かい塩味のスープだったが、今朝はコースケ隊員特製のつゆをあつあつのゆでたてにぶっかけて頂く。
 これがうまいのなんの。
 2杯も食べてしまった。
 一方、ことのすけ隊員はお粥を作ってくれていた。鳥肉とホタテの貝柱とタケノコが入り、ごま油で風味をつけたしみじみとおいしいお粥であった。
 途中、Take隊員が顔を出した。ホワイトデーのプレゼントと言ってタカノのケーキをくれた。ユーミンのDVDも貸してくれた。嬉しい。
 12時頃に、宮原キャンプ場を後にした。
 寒かったが楽しかった。
 犬達も楽しかったことだろう。

3月8日(土)

 今日は、つっぺり隊の初漕ぎ・初キャンプである。
 場所は、栃木県は烏山の宮原キャンプ場。
 集合時間に例によって遅れ(みなさんごめんなさい)、あたふたと上流のスタート地点に移動。
 カヌーの準備が終わったら記念写真を撮って、川に入った。
 ひゃー、水が冷たい!
 今回私と犬達が乗ったのは、おなじみの隊長艇、別名悪魔のフネである。
 なぜ悪魔のフネと呼ばれているのかというと、その安定感・快適さを知ってしまった精神は堕落し、他のフネにはもう乗れなくなってしまうからである。隊長いわく「川のメルセデス」。
 他は、カナディアンカヌーが2艇、インフレータブルが2艇である。
 下りだして驚いた。犬がだいぶ慣れてきて、私にしがみついたりしないし、余裕で景色など眺めている。
 立派なカヌー犬になったねえ、と言われた。
 それにしても寒い。こんな時期、カヌーで川下りをしている酔狂なやつなんて私たち以外にはいないようだ。
 釣りをしている人さえいない。
 早くも昼食地点「無法松の瀬」に到着した。
 今回は、ことのすけ隊員が先回りをしてあたたかいお昼を用意して待っていてくれる予定。なのだが、ことのすけ隊員の姿が見えない。
 どうやら私たちが早く着き過ぎてしまったらしい。
 待っているとまもなくことのすけ隊員が現れ、手際よくカレーそばと甘酒を用意してくれた。
 とてもおいしかった。
 ここで田崎隊員が息子さんをつれて合流。もう少し下流からファルトで合流するとのこと。
 おなかがいっぱいになった後はゴールめざして漕ぐだけだ。
 しかし、冷たい水にさらされた衣類をまとっている我々は寒い!のであった。
 それなのに、カナディアン2艇は両方とも沈!合計4名が、ずぶ濡れ状態に。これは大変気の毒だった。
 やっとゴールして、冷えきった体を温めるべく温泉に行った。
 馬頭温泉郷の「ゆりがねの湯」。骨の髄まで冷えきった体を露天風呂で温めた。
 キャンプ場に戻り、私はテントを設営した。
 そして焚き火を囲んでの宴会。
 犬はそこいらじゅうを走り回っている。
 やす隊員がおいしいカクテルをどんどん作ってくれるので、喜んで飲んでしまう。
 また、コースケ隊員は手打ちうどんをふるまってくれるし、ことのすけ隊員はおいしい鍋をつくってくれるし、なんともグルメなキャンプなのである。
 なんともいい気分で酔っぱらって、おやすみを言ったあたりは覚えていない。
 犬をテントに入れ、シュラフにもぐり込み寄り添って寝た。
 

3月7日(金)

 今日もまた、ミスをしてしまった。
 伝票2枚で払い戻しを受けたのだが、現金を渡してお客様が帰られた後、ぴっちり重なったカルトン(トレイ)の間から現金が…。
 おーまいがっ!
 結局、また外回りの人が届けてくれることになった。(F井さん、ありがとう)
 うーん、どうしてこうそそっかしいのだろう。
 天気が悪いが、明日・明後日とカヌーで初川下りと初キャンプだ。
 せめて雨だけでもやむといいな。

3月6日(木)

 今日は仕事は休み。
 家人のお弁当を作るために一度起きて、送りだしてからまた寝た。
 夕べダンスに行ったせいか、疲れていたようでお昼まで寝てしまった。
 午後は買い物巡りで終わってしまった。
 SMAPの「世界に一つだけの花」を買った。

3月5日(水)

 3時にシャッターが降りると、勘定の締め上げが始まる。
 「2円あいませーん」と担当者が叫んだ。
 そして、伝票探しが始まる。「2円っていうと、定期の利息ね」係長が言った。
 やがて「ありました!」と声が上がった。それは、私が処理した伝票だった。がっくし。
 同じミスをしないよう、今後気をつけよう。
 夜は先週休んでしまったダンススクールに行った。
 
 

3月3日(月)

 もしかしたら今日は休みにしていたのではないかと思いつつ出勤したら、案の定休みだった。
 人数の都合があるので、仕事をせずに帰った。
 うーん、失敗。

3月2日(日)

 11時頃起きると、妹はひどい二日酔い。私はちょっと頭が痛いだけで気分は悪くない。
 妹は本当に辛そうで、大酒につきあわせてしまってかわいそうなことをした。
 横になっていてもらい、私はその間に「ぼくはペット」というまんがを読んだ。
 このまんがを原作に、今度、嵐の松本潤くんがドラマに出るのだ。
 まんがを読んでとても楽しみになった。
 妹がなんとか復活したので、レトルトのおかゆをふたりで食べた。
 4時半ごろ、帰路についた。
 

3月1日(土)

 群馬県太田市に住む妹のところに泊まりに行った。
 妹の夫の転勤で、ここに遊びに行くのも最後だ。
 まず、いつも行くレストランでランチをごちそうになる。
 その後、嵐(ジャニーズ)のビデオを観て過ごす。
 夜は、妹の手料理をつまみにスパークリングワインと赤ワインを空けた。
 ふたりともものすごく酔った。

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