今まで「死んでお詫びを」と言えたのは、生命保険の死亡保険金がおりるかもしれないからだった。
でも、今は、ただのひとつも生命保険に入っていないので、死んでもただ食いぶちがひとり減るだけだ。
火葬費用もかかってしまう。
それに「死んでお詫びを」というよりも、積極的に死にたい。
もう、生きていたくない。
精神安定剤は、あっという間になくなってしまう。
もう、私には味方は犬猫しかいない。
私は、ごくつぶしだ。
家の恥だ。
忠告はすべてストレスにつながる。
反論すればいいのかもしれないが、口論する気力もないので、体にサインが出る。
あ!
自動車保険という手があったか。
これなら、死ねば多額の保険金がおりる。
これが私にとっての最後の砦だ。
もう、限界は近づいているのだろうか。