みなさんは、今まで知らず知らず間違った行動をとっていたとしたら、それを指摘してもらいたいですか?
ほっといてほしいですか?
私は、教えて欲しいです。
ずっと恥をかいていたくないから。
聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥。ともいいますしね。
急須の注ぎ口についているビニールのキャップ、あれは外すものなのか、そのまま使うものなのか、ご存知ですか?
「買ってきたら、外して使う」というのが正解です。
あれは、搬送中の破損を防ぐためについている、いわゆる梱包材の一種なのです。
先日、つけっぱなしでお茶を煎れている人がいたのでそれを指摘したら、嫌われてしまいました。
うーん。
人間関係って難しい。
友達のルナさんが、カラーセラピストの資格を取得されたので、セッションしてもらった。
まず、見た目もうつくしい14色のちいさなボトルから、インスピレーションで3つ選ぶ。
ブルーが内なるエネルギー、グリーンが人間関係、コーラルピンクが個人。らしい。
選んだ色に基づくメッセージを聴く。
それはセラピストがお話してくれる。
それによると、私は寛容で愛情深く、その愛は人間愛を超えて地球規模であるらしい(ほんとかよ)。
でも、自分で言うのもナンだかが、とても的を射たメッセージだった。
それから、今度は4色のボトルを選ぶ。
私は、クリア、ターコイズ、グリーン、コーラルピンクを選ぶ。
これは順番にふたつずつ組み合わせて、過去・現在・未来の私へのメッセージになるそうだ。
ここで私はルナさんに、離婚の経緯、別れた夫との関係性について悩んでいるとを話した。
そして、セッション。
いきなり「今は変化のとき。過去との訣別」と出てきて驚く。
ルナさんも、あまりに偶然(というか必然だったのか?)にびっくりしたあまり、鳥肌がたち涙をぬぐっていた。
ルナさんは、本業の傍らに勉強してセラピストの資格を取られたのだ。
その選択が間違えていなかったことも、ご自分で実感されたのかもしれない。
私は、別れた夫への気持ちに区切りをつける決心した。
それから、姓名にこめられた内なる自分についてのセッションを受ける。
これも、自分で言うのもナンだが、当を得たものばかりだった。
言霊ってあるんだなあ、としみじみ感じた。
今回、ルナさんとセッションしたことは、運命的なものだったと思う。
というのも、ルナさんは前日体調を崩されてお仕事を休んだそうだ。
私も風邪を引き、でもなんとしてもセッションを受けたかったので、かぜシロップを飲んで根性で治したのだ。
よかったよかった。とお互いに言い合い、お昼を一緒に頂いてさよならした。
カラーセラピー、とてもよかった。
自分の道が見えたと思う。
そして、その道を自信を持って歩くことができる。
ルナさんのおかげだ。どうもありがとう!
ルナさんにカラーセラピーを受けたい方は、コメントしてください。
コネクトします。
私にとってキッチンは魔法の場所だ。
疲れてるな、というときとか、ダメだ死ぬというくらい頭痛がしても、シンクを前にして立つと、すっ。と背筋が伸び、頭がしゃんとする。
料理を始めると、心は真空になる。
無心で野菜を刻み、肉を炒め、魚のうろこを取り、手が空くとざるやまな板を洗う。
あるときは、チョコレートを溶かし、卵を泡立て、小麦粉をふるいにかける。
主婦(じゃないけど)のお総菜の域を出ない料理だけど、私にとってこの能力は神様からのささやかなギフトだと思う。
雑誌のグラビアを飾ることはないけれど、おいしいね。と言って食べてくれる人が、私のヘヴンズ・キッチンのゲストだ。
To me , have a friend of a professional comic artist .
Her name is Kamon Mineko.
Cartoon of rock musicians whom drawn by her is the excellent , it’s extremely popular the person who was drawn .
In facebook, ( In fact , I forgot to who is ) a musician said
“My sweet Mineko,”
And I discovered the greatness of her , and then it was very envious .
Caricatures Mineko ‘s draw is the best, and she polished the gift of talent .
But I envy her a really . Yes , I confess .
Mineko ‘s is a straight, pure , and she do not lie to yourself .
I love such Mineko ‘s .
Mineko ‘s , went to the airport send-off of the famous musicians who guest appearance in concert in Japan the other day,
she ran up to him , and he gave her a kiss .
He knew that she isn’t one of groupie fans enthusiastic .
In other words , I think that he had the eyes to see through the essence of Mineko ‘s .
He is the truely artist she has continued to love for many years indeed .
I’m a fan of some artists, in various direction.
Well , I think I would like to get acquainted with its people .
But I should not be excessive behavior that causes the unpleasant experiences.
I am not to be imitating Mineko ‘s , but respect her spirit ,and I wanna follow her.
私には、プロの漫画家の友達がいる。
かもんみねこさん(ペンネーム)だ。
彼女が描くロックミュージシャンたちの漫画は秀逸で、描かれた本人達にすこぶる好評だ。
facebookで、とあるミュージシャン(ぶっちゃけ、誰だか忘れました)が
“My sweet Mineko,”
とコメントしているのを発見し、彼女の偉大さに感服し、いっぽうでひどく羨ましかった。
みねこさんが描く似顔絵は、才能を磨いた努力の賜物だ。
だけど、羨ましいのはほんとなんだもん。はい、正直に告白しました。
みねこさんは、まっすぐで、純粋で、自分にウソをつかない。
私はそんなみねこさんが大好きだ。
みねこさんは、先日来日してコンサートにゲスト出演した有名なミュージシャンを空港に見送りに行って
感極まって駆け寄ったら、キスをもらったそうだ。
単なる熱狂的なミーハーなファンではないことを、彼は知っていた。
つまり、みねこさんの本質を見抜いていたのだと思う。
さすが長年みねこさんが愛し続けてきたアーティストだ。
私もファンであるアーティストが、いろんな方面にいる。
そりゃ、その人たちとお近づきになりたいと思ってますよ。
だけど、不愉快な思いをさせるような行き過ぎた行為をしてはならないと、自戒している。
みねこさんの真似をするのではなく、そのスピリットを尊敬し、後ろ姿を追っていきたいと思う。
つまり「死」のことなのですが。
死なない人はいない。ということを、忘れている人が多過ぎるような気がする。
この世に生を受けたものは、誰もが死ぬ。平等に。
それをなぜ恐れるのか、私はさっぱりわからない。
幼少期を経て思春期を過ぎ、世に出て働き、元気な老後を過ごし、米寿あたりで後悔することなく穏やかに死ぬ。
というのが理想なのですか?
理想を持つのは悪いことではないし、自由であるけれども、全人類がそうなるはずはない。
なのに、そうでない死に方をすることを、恐れすぎてはいないだろうか?
やり残したことや、恥ずかしいものを残したりして、突然くだらない死に方をすることだってある。
それでいいじゃないの。
死なない人はいないんだから、そんなに怖がることないじゃないですか。
あなたが生きていることも、私が生きていることも、特別な意味などない。
綿々と続く、人類の、いや地球、宇宙の歴史のなかのひとつの現象に過ぎない。
では、死後の世界ってどうなってるのだろうか。
私はクリスチャンで、キリスト教の宗教観を支持しているが、天に召されたら「エッ、ほんとはこうなの?」
ということもあるかもしれなくて、こればっかりは、いくら考えてもオリジナルな考えは出てこない。
なので、主イエスの教えを信じて、いつ訪れるかわからない死を迎えようと思う。
以前飼っていた猫「えーちゃん」がある日帰宅せず、元夫と私は毎日探し回った。張り紙をし、タウン紙に「探してます」の記事を載せてもらい、できる限りの手を尽くしたが、とうとう見つからなかった。
輪禍に遭ったのか、連れ去られたのか、知りたかったがそれもかなわなかった。
そしたら、残された「れいちゃん」の性格が変わったのである。
それまで、社交的なえーちゃんの陰にかくれるような臆病な猫だったのに、ひとことで言えば「愛嬌のある猫」に猫変したのです。
なんか、えーちゃんの性格が半分入ったみたいだった。
そんな神秘的霊的なことって現実にあるのか?と思ったけれど、私は元夫にそう言ってみた。
そしたら、かなり現実主義(だと私は思っている)な元夫はこう言ったのです。
「おれもそう思った」
れいちゃんは、おもしろく愛嬌をふりまき、私達に幸せな時間をもたらしてくれ、12年の生涯を閉じた。
その数年後、私達は始めて長毛種の猫を迎え入れた。
まるでディズニーのマリーみたいな猫は、ミンミと名付けられた。
美猫なうえ、性格も人懐こく来客みなに愛される猫となった。
その後、私は幼友達がネットにアップした三毛猫に一目惚れし、頼み込んでもらい受けた。
「ララちゃん」である。
ララちゃんは、ひとたび慣れた人にはなついたが、臆病な猫だった。
びっくりまなこが愛らしい、可愛い可愛い三毛猫だった。
私と元夫は、訳あってお別れすることになり、私は、かんちゃん(犬)とミンミ、ララちゃん、ルミの3匹の猫を連れて実家に戻った。
今年の1月、うっかり外に出してしまったララちゃんが帰宅しなかった。
私は、えーちゃんのときと同様、自分にできる限りの手を尽くして探した。
迷子札もつけてある、ワクチンも打ってある、避妊手術もしてある、と後悔材料がないことだけが救いだった。
やがて、ミンミの性格が変わった。
ララちゃんの性格が半分入ったみたいだった。
社交的だったのが臆病になり、鳴き方も鳴き声もちょっとララちゃんに似ている。
ララちゃんはウチが大好きだったから、よそが良くて帰らないということはないと思う。
だからもう、この世にはいないのかもしれない。
ララちゃんを待ち焦がれる私を神様が気の毒に思って、ララちゃんの魂を半分ミンミに入れてくれたのかもしれない。
れいちゃんも、えーちゃんの魂が半分入っておもしろい猫になったのかもしれない。
それは、待ちわびる飼い主を憐れに思った神様がくれた、ちょっとしたプレゼントなのではないだろうか。
ララちゃんが居なくなった数ヶ月後に、ルミが19歳の生涯を終えた。
後悔のないように愛したから、さびしくなったけれど悲しくはない。
妹は「ミンミは多頭飼いには向かない性格だと思うから、1匹で大切に飼ってあげて」と言う。
私も同感なので、ミンミが天寿をまっとうするまで、文字通り猫可愛がりするつもりである。
昔に比べて、切り花に対する姿勢が変わった。
若い頃は、花より団子で、綺麗なお花をもらっても、花瓶にじゃーっと水を入れて、無造作に「ぼすっ!」と差したきり、というワタクシでございました。
水に浸かっている葉っぱは腐るし、少しずつ花がしおれてきても、最後にまとめて捨てるまで放置、という、めっちゃがさつな扱いをしていました。
今は、こまめに水を換え、漂白剤をちょっとたらし、その都度、茎も数ミリ切るという、人格が変わったような丁寧な接し方をしています。
この薔薇は、母の誕生日(1月16日)に買った黒薔薇。
バッカラっていうのかな?
少し花びらの端がしおれたので、その部分だけ取り去りました。
今は、玄関に置いてあるのですが、隣のカーネーションは、な、な、なんと、お正月用に母が買ってきたものです。
梅とかと一緒の花束に入っていたもので、私がカーネーションだけ抜き取って一輪挿しに飾りました。
傷んだ部分は捨て、緑色の輪ゴムで長い1本に巻いて留めてあります。
これは、ララちゃんがいなくなって、すっかり抜け殻になってしまった私を勇気づけるために自分で、はなささらさんから買ったブーケ。
ピンクの薔薇が「ソウルメイト」という名前で、それに惹かれて。
まず、花瓶に活けました。
数日後、オアシスを使ってアレンジメントに作り直しました。
しばらく楽しみ、元気なコだけ残して、小さな花瓶に引っ越しました。
今現在。
このカーネーション、とっても素敵。調べてみたらミネルバという名前かも。
アルストロメリアが少しずつ花びらが散っているけど、ミネルバはまだまだ元気いっぱい。
観葉植物のグリーンもいいけど、やっぱりお花が部屋にあるといいです。
「色」があるものね。
サントリーが開発した、アプローズという名前の青い薔薇、いいなあ。
車で10分ほどのホテルのお花屋さんで買えるみたいなので、ララちゃんが帰ってきたら、思い切って買おうかな。
アプローズって「喝采」って意味なんだよね。
花言葉は「夢 叶う」か。
帰ってくることを願って、買っちゃおうかな。
一輪、3,150円もするんだけど(汗)。
私は、世の中の情勢を積極的に知ろうとしなくて、元・夫には本当〜にいろいろ教えてもらって助かった。
「ほめ殺し」の意味を教えてくれたのも彼だった。「ボールを置きに行く」の意味を教えてくれたのも彼だった。
でももうその便利な尊敬するふくろう博士とお別れしてしまったので、脳みそはつるつるになる一方である。
でも、アホなりに考えることはある。
アホだから、小学生並に幼稚でシンプルだけど。
私は、小さい頃から、政治家って権力はあるけど、実力と行動力はないんじゃないか?と思っていた。
難しい試験を受けて名門大学に入り難しい勉強をして卒業し、それをちゃんと活かしている人も中にはいるだろうけど、いばってるだけだと思っていた。
人徳がある人は一握りだろうと思っていた。
アルバイトだけれど、文部科学省の法律にちょっと触れたことがある。
たまげた。
カビが生えてる!と思った。なんか、明治時代から変わっていないのもあるらしい。
なんて非効率な!時代錯誤な!これを改正しないお役人て、バカ?と思った。
だから、規律・法律に精通していて、勇気があって、行動力があって、みなのためを思う、そういう政治家がいたらいいのになあ。
と思っていた。
そしたら、現れたよ、そういう政治家が。
橋下徹氏である。
法に詳しく(弁護士だからね)、若く(考え方がフレッシュ、体力もある)、勇気があり、清廉潔白で、みなのためを思っている。
出る杭は打たれる、のことわざ通り、じいさんたちは必死でまるでモグラ叩きのように叩きまくっているけど、負けずにがんばってほしいと思っている。
ふくろう博士は、どう思っているのかな。
先日、アーティストの村上隆さんがtwitterで、こうつぶやいた。
明日、ジョブスの特番、NHKでやるんだぁ〜。みたいなぁ〜。録画、誰かしてくんないかなぁ。
私、フォローしていながら、村上隆さんがすごい高名な芸術家だとは知らなかったのです、恥ずかしながら。
で、@で「よかったらダビングしましょうか?」と送ったのですが、当然リプライなどあるはずもなく、ひつこい私は、カイカイキキで公開されているメールアドレスに「リプライは頂いておりませんが、本当にご所望でしたらお送りします」というメールを出しました。
そしたら、スタッフ?秘書?の方から、大変丁寧なメールを頂きました。
よろしくお願いします、と。
で、DVD-Rにダビングして、メモ程度の手紙を添えて送った。
「お役に立てれば幸いです。村上先生によろしくお伝えください」と。
ここで信じて欲しいのは、けして見返りとかお礼とかを期待していたのではないということです。
もしかしたら、日本のテレビが観られない状況にいらっしゃるのかな〜?ぐらいの気持ちで、純粋にただ純粋に「力になりたい」と思っただけなのです。
そしたら、今日、ものすごいプレゼントが届いて驚いてしまいました。
立派な画集。
お礼のカード。
それと、幻冬舎から出版されている芸術闘争論というご著書。
よくよく考えたら、こんな立派な会社があるのだし、優秀なスタッフ、仕事仲間など、頼める人はいくらでもいたはずです。
なのに、いちファンのバカみたいなメールを無視せずに心のこもった対応をしてくださり、こんなすばらしいプレゼントをしてくださいました。
やっぱ、一流の人はどこか違うわ。
つくづく、そう思いました。
そして、人の縁というのは、ほんとうに不思議なものだなあ、と思いました。
いろいろ思いだしながら。
遡れば、共通一次で第一志望に合格していたら、今の私は別の人生を歩いていたでしょう。
まあ、これは「縁」ではないですけど。
先日は、自分中心の考えをつぶやいたら、元夫の友達が、やさしく諭してくれて、私は目が覚めた。
その彼には、本当〜〜〜に感謝した。
元夫とは離婚しちゃったのに、心のこもったアドバイスをしてくれて、すっごくありがたいな、と思った。
そのとき、ひとの最高の宝は「友達」だ、と心から思った。
その友達は「縁」から生まれる。
私は「縁」に恵まれているな、と思った。
これは、神様が私にくれたギフトなのかもしれない。