2000.1月

1月30日(日) 王子様にお願い

 洗濯物はたまり、各部屋もちらかり(いつもだけどさ)、家はすごい荒れようだが、私の気持ちは不安定で、それらにとりかかって1日を過ごすのは、とても危険なような気がした。夕べは頭痛がひどくてろくに眠れなかった。また心が暗黒界をさまようようになってしまうのか?という不安でいっぱいになった。
 忙しいとわかっていたが、勇気を出して王子Bにわがままを言ってしまった。
 「いいよ。おいで」と言ってくれる彼は、やっぱりプリンスだ。
 上野駅のホームで王子Bは待っていてくれた。
 「顔が青い。ほんとにどうしちゃったの?」と心配そうだった。
 とりあえず、お昼を食べることにした。私はここ数日、ほとんど食べていない。
 水分でさえ、ちょっと胃に入れると数分後に吐いてしまうし、嘔吐感がひどくてなーんにも食べる気が起こらないのだ。固形物なんて論外だ。
 でも食べなきゃ。と思い、食べられそうなものを考える。
 「おそばだったら大丈夫かな」
 ぽつりぽつりと話しながらゆっくりとそばをすすった。ふと見ると、王子Bはとっくにカレーを食べ終わっている。はー、こんなに食べるのが遅くなるなんて。
 でもなんとか食べ終えた。いまのところ、吐き気は起こっていない。
 ストップしてしまっていたスキーの話をすると、少しずつ気持ちが明るくなっていくような気がする。
 だが、途中やっぱり込み上げてしまい、トイレに駆け込んで吐いた。幸い、そばは消化された後で、水分だけが出た。よかった、これでカロリーを補給できた。
 ドトールに入り、グレープフルーツジュースを飲む。思わず「すごくおいしい」と言うと、「だってみっつ分絞ってたよ。100%だもの、おいしいよ」と王子Bが言った。そのジュースはほんとにほんとにおいしかった。ひさしぶりに「おいしい」と思えたので、光が見えたような気がしたくらいだ。
 そして、ふたりで「じゃらん」を見ながらあれこれと話しているうちに、私はものすごく嬉しそうな顔をしていたらしい。
 「さっきまで、あんなに元気がなくて青い顔して、今にも泣きだしそうだったのに。なんでこんなに元気になるかな」と王子Bが呆れたようにつぶやいた。
 でもそれはやっぱり、王子Bに逢って安心したからではないでしょうか。
 スキーの話が少し進展してほっとしたというのもあると思う。たぶん北海道に行くことになりそうだ。
 「ごめんね、たくさん心配かけて。だけど自分でも不思議なの。こんなに元気が出るとは思わなかった」と謝った。
 王子Bは「元気の元をあげたんだよ」と笑った。
 ねえ、スキーが楽しみだね、王子B。

1月29日(土) Ring! Ring! Ring!

 大学の近くのリサイクルショップで、新品の自転車を買った。
 有名なディスカウント・ストアが数百台放出したのを買い付けに行って商品として売ることにしたのだそう。
 スポークがアルミだとか、かなりいい品だとか説明されて、気に入ってしまった。
 「乗って帰る」と後見人に言うと「え!だって病み上がりじゃないか。明日、おやじに軽トラ借りて取りに来よう」と反対された。「大丈夫、大丈夫。あたしが自転車に乗るの得意なの知ってるでしょう?」「それは健康なときの話でしょう。今は健康じゃないんだから」と押し問答をしたが、結局乗って帰ることになった。
 少し自暴自棄になっていたのかもしれないが、その時私は、とにかく「変化」を求めていたのでしょう。
 後見人が不安そうに車で帰って行くのを見送り、自転車にまたがった。
 なんと、土浦に引っ越してから自転車に乗るのはこれが初めてである。いかに車が日常生活で大きな比重を占めているか、改めて知る。
 東大通りではなく、一本入った道をすいすいと走る。
 途中、C-YOUで買い物をし、南大通りにある科学技術庁の研究所の前を通って東大通りに出た。
 大角豆の交差点で、左折するか直進するか迷ったが、左折していつも車で通っている道を行くことにした。
 あと少しで家、というところで「ちゃんと帰って来られる?」と、後見人から電話が入る。「今、川沿いの道の途中」と報告。
 大体1時間ぐらいだった。
 汗ぐっしょり、顔は真っ赤だった。いやなことに、頭痛がはじまっていた。

 やっぱり無謀だったのだろうか。
 

1月28日(金) 悪い夢から少しずつ目覚める

 たぶん、ホルモンの関係だったのだと思う。
 自分の意識とはまったく関係ないところで、あれよあれよという間に、まるで全身が毒薬で満たされたように暗黒の世界になってしまったのだ。
 ドリアン助川さんが書かれていたが、性転換手術をした人のうち4人に1人は自殺してしまうという。持って生まれた性と反対のホルモンを投与することが原因らしい。
 ホルモンはあなどれないのだ。
 ほんの少しだけだけど、気持ちが前向きになった。

1月27日(木) はかなくなってしまいたい

 口もきけなくなるくらい、沈んだ。

 この日、王子Bに「このままもうめがさめなければいい」というメールを送っている。(そんなこと言われてさぞかし王子Bも困ったことであろう)

 ものすら食べられなくなっていた。

 身辺整理のつもりで、このサイトまで消した。

 もう一歩で、自分も消してしまいそうだった。

1月26日(水) 凶兆

 だんだんと気持ちが悲観的になっている。
 これはもう、自分ではコントロールできない憂鬱さである。
 いやな予感がした。

1月23日(日) 女はつらいよ

 午前中は寝ていた。
 午後になってから、本調子ではないが、買い物に行った。 

 ダイエー〜ホームセンター〜給油〜マルエツと回り、どっさりと買い込む。
 帰宅後、夕飯を食べ、家を少し片づけてひさびさのお風呂に入り、あがってひと息ついて時計を見ると12:30。
 気がヘンになるかと思うくらい疲れた。
 王子Bの言いつけ通り、こんな無理をしないでゆっくり休んだ方がいいんだろうなあ。
 

1月22日(土) 王子様は心配性

 かぜをひいて寝込んでいると知って、王子Bがとても心配している。
 「かなりよくなってるから平気です。今日はせんたっきを4回も回しました」というメールを送ると、「お願いだから寝てて」と返事が来た。
 「心配するなっていっても、それは無理なお願いです」とも書いてある。
 だけど、妻というものはかぜをひいてもなかなか寝込めないし、後見人がダウンしてるから、なおさら私に「やるべきこと」が生じてしまうのですね。
 娘時代を卒業した女は病気になってももう誰にも看病されない、という人は多いのではないだろうか?

1月21日(金) うつるんです

 解熱剤を入れ、国立病院に行った。婦人科の予約をしていたのだ。よっぽどキャンセルしようかと思ったが、いろいろな予定を考えてがんばって行った。
 無事、ピルを処方してもらった。1ヶ月分で3千円だった。女性誌などを読むともっと高い金額を記事にしていたような気がするので、ほっとした。
 帰宅すると後見人から電話。「熱があるようなので今から帰る」という。
 夕べ私は39度2分も熱があった、と言うと「そういうことは先に言ってくれ!」と死にそうな声が電話口から聞こえた。
 ものすごく怒って帰って来た。「うつした!」と言うのである。だけど、彼も夕べから咳はしていたのだ。それに昨日は空気の悪いところへ行ったから、そっちでうつされたのでは?と言い返す。
 彼にも解熱剤を投下する。ベッドに入りやがて眠ってしまったらしい。
 午後、かかりつけの病院にふたりで行った。

1月20日(木) FEVER

 あまりにも寒かったせいか、風邪をひいたらしい。
 夜には、39度2分にもなった。
 私は平熱が35度台なので、こんなに高熱になるともう意識が朦朧としてしまう。平衡感覚すらあやしくなるぐらいだ。
 後見人は、「釣りバカ日誌」の試写会に出かけ、上機嫌。あこがれの桜井幸子さんにプレゼントを渡せたという。
 私が具合悪いのが目に入らないくらい舞い上がっていた。

 

1月16日(日) 反省会

 昨日の試合の反省会。
 集合場所が物理化学研究室だったので、お茶飲みながら本当にゲームについての反省会か?と疑問が湧いたが、ちゃんと飲み会だったので安心した。
 去年は私がセンターだった、という話をしたら、QBのT中くんが驚いたのなんのって。
「じゃ、M岡さん(去年のQB。研究室でもT中くんの先輩にあたる)、ケツに手ぇ当ててたんですか!?」
「ウウン。」
「じゃ、全部ショットガンで?」
「いや、エクスチェンジで渡してる写真が残ってるよ」
「じゃ....、手を宙に浮かせて受け取ってたんだ....。そんなこと、M岡さんじゃなきゃできないよ....。」
 ふーん。当時は、正しいやり方なんてM岡くん以外誰も知らなかったからなあ。
 そういえば、こないだの練習試合の前日、練習から帰宅すると後見人に「なぜここに縞模様が?」と言われて見ると、ジャージのハーフパンツにパンツの柄が透けて見えていた。あ゛〜〜!今日はショットガンであたしセンターやったのに!と焦ったことがあったっけ。パンツの柄はチェックだったが、なぜかストライプに透けて見えていたのだ。翌日、試合の後の飲み会で「昨日、パンツの模様が透けて見えてたでしょう?いやあ、T中くん、ごめんね〜」と言ったら、「いえ。大丈夫でしたよ」と言われた。
 そっか、ショットガンで少し距離があるから見えなかったのね、と安心し「家に帰ったらさ、縞模様が透けて見えるよって言われちゃって」と続けたところ、T中くんはこう言ったのだ。「え?チェックじゃなかったでしたっけ?」
 一瞬、その場の空気が止まりました(笑)
 M田くんが「カラオケ行こうぜ」と言ったが、翌日朝早くから授業がある人もいたので、1次会で解散した。

1月15日(土) 善戦したけれど

 舞浜でフラッグフットボールの試合である。
 ぎりぎりというか、はっきり言って遅れてしまっているのに、ぶっ飛ばしている最中にパンク。なんなんだよ?と思いつつ、T中くんに電話。パニクりまくって電話した私とは対照的に冷静に「じゃ、拾いに行きます」と言ってくれてほっとした。幸いにも後見人の実家の前だったので、後で電話すればいいや、と思って放置していくことにした。
 会場は舞浜だ。
 試合は2試合。
 1試合目は「東京サテライツ」というチームと対戦。すごく寒くて体が温まってスムーズに動くようになるまでみんな時間がかかってしまったが、まあ善戦したといえましょう。点差は2タッチダウン差ぐらいだった。
 2試合目の対戦相手は「浜松ジェッツ」。最初はTake-2のチームが相手か!と、一部かなり喜んだ人がいたのだが、違っていた。M田くんが本気でがっかりしているので笑ってしまった。私は、違っていてほっとした。テレビに出たくない訳じゃないけど、これ(フラッグフットボール)をやってるところを映されるのはカンベンって感じ。
 これはほんっとうに善戦したのだが、惜しくも僅差で負けてしまった。
 なんと1タッチダウン差である。
 それにしても、ものすっごく緊張した。
 そんなにあがり性ではないのだが、いろいろなプレッシャーで(別に誰からもナニモ言われた訳ではなく勝手に自分で感じただけ)、心臓がばくばく言ってくらくらと目まいがした。「もうやめたい。見てるだけの方がいい」とまで思ったのだから、その緊張感は最たるものであろう。しかし、終わると「もっとがんばって次こそは勝ちたい」と思っていたのである。「やめたい」と思ったキモチが消えて、本当に良かったと思った。
 今日の私の「自分が選ぶベストプレイ」は、ディフェンスのときのハエたたきである。
 エンドゾーンで、相手チームのレシーバーがファンブルしたボールを夢中でたたき落とした。
 「青山さん、ナイス・カット!」という声が飛んで、とても嬉しかった。
 「残念だったプレイ」は、クォーターバックのT中くんが投げてくれたボールをキャッチできなかったこと。ダイビングまでしたんだけど。
 ますます夢中になってしまいそう。
 

1月14日(金) 間に合った

 明日のフラッグフットボールの試合に向けて、おそろいのTシャツを作ることになっている。「TSUKUBA 1-ZOS(つくばわんぞーず)」とチーム名を入れ、背番号を入れ、袖のところにおのおの選んだ犬のイラストを入れる。アイロンプリントで。マックでデータを作成するところまではやってあったが、それ以降の作業を明日の朝までに完了しなければならない。
 徹夜でやって、ほんとにぎりぎりに終了した。

1月13日(木) 踏んだり蹴ったり、そして泣きっ面に蜂

 なんていうか、詳しく書くのも嫌だ。まるで冗談のように、めげることばかりが起こる。
 「負けてしまいそう」と、王子Bに電話をした。
 電話口で泣きじゃくってしまった。
 こんなとき、王子Bはほんとにプリンスになる。
 「こんな話ばかりしてごめんね」と弱々しく言うと「ううん。謝るよりも、話を聞いてくれる相手がいてよかったなって思ってくれる?」
 そうね、私はひとりぼっちじゃない。

1月12日(水) 修理してくれ、頼むから

 ドコモショップに携帯電話を持っていく。正常にかけられるまで復活していたのだ。この状態だったら、開けてもらってオーバーホールすれば完全復活するんではないだろうか、と期待して番号札をとった。
 ところが、である。水没による故障は、絶対の絶対に修理しないそうだ。カバーを開けてどれぐらい濡れているか見せることのみ、受け付けているとのこと。で、カバーを開けた際のメモリの保証はできないそうだ。
 え〜、そんなあ。と思ったが、仕方がないので、ロビーで電話番号の転記とメールの転送をさせてもらい、カバーを開けて中をみせてもらった。基盤が少し腐食がはじまっていた。ティッシュをもらって少し拭かせてもらい、閉じてもらった。
 どれぐらいで使えなくなるかわからないが、6月で機種変更できるので、それまでとりあえず使うことにし、壊れたらあきらめて新しいのを買う、という結論に達した。
 かぜは相変わらずよくならない。

1月11日(火) ダウン

 かぜが悪化し、一日中ダウン。
 携帯電話も復活せず。

1月10日(月) 新年会

 ウチのボスのおうちで新年会。
 D井くんが迎えにきてくれた。
 途中、手土産にパッションフルーツのお酒を買った。
 奥様の手料理はみんなおいしい。絶品は栗入り中華風おこわ。こんど再現めざして作ってみたいなあ。
 携帯電話をトイレに落として壊してしまった。がっかり。
 だんだんと室内の空気は煙草の煙で汚染され、かぜが治りきっていなかった私は、咳がとまらなくなってしまった。
 ボスが学生たちに歌を歌うよう、強く勧めている。カラオケなんてない。伴奏は手拍子のみ。みんな「え〜〜」としり込みしている。ボスがなんだかさみしそうにみえた。
 だもんで私は勇気をふりしぼり「では私が歌いましょう」と、咳き込みながらも、「男はつらいよ」をセリフ入りで歌ってしまった。なにやってんだか。
 その後、学群生のN島くんが「高砂」を朗々と歌った。とてもみごとだった。

1月9日(日) 夜を越えて

 夜、ICQでおしゃべりをしているうちに、王子Bが今からそこへ行く。と言いだした。もう4時になろうとしている時間である。
 信じられない。
 だけどほんとだった。
 王子Bは東京からウチまで来たのである。愛犬をメルセデスに乗せて。
 「これは夢?」と思わず言うと、王子Bは「そうかもね」と笑った。
 そのまま助手席に乗って、海までドライブをした。


 やっぱり夢だったのかしら?

1月7日(金) がーん

 思うところあって「ピル」を服用しようと考える。
 避妊はもちろんだが、ホルモンバランスを整えるのが目的。
 そう、私はアンネちゃんがものすっごくヘビーなのだ。副作用があるかもしれないけれど、なにごとも経験だと思って試してみることにしたのだ。
 高額の処方になりそうなので、信頼できそうな国立病院に行くことにした。
 かなり待って、やっと診察室の前に座らされる。するとカーテンが開いて、医師らしき男性が待っている患者さんに何か話しかけた。私はその彼を見てものすごく驚いた。とてもとても若いのだ。まるで少年のようだ。(そんな訳ないけど)
 この人に内診なんてされたら....う〜やだ〜〜。
 はらはらしていると、やがて名前を呼ばれ、カーテンの中に入ってみると。
 あー、よかった。さっきの彼ではなく、それなりの年齢のおじさん医師だった。
 問診・内診と見てもらったところ、2センチぐらいの筋腫ができていることが発覚。ごっつい生理痛もこれが原因のひとつでしょう、とのこと。で、どうするんですか?と聞くと様子を見る、とおっしゃられた。え?このまま?と聞き返すと言いづらそうに「なんにも変化がないまま『閉経』ということもありますから」と言うではありませんか。
 そうなのだ。私は今年で35歳。早ければ10年以内にその時が来るのだ。
 別に若いつもりでいた訳ではないけれど、ちゃんと自分の年齢は認識しているつもりだったけど、その事実は私に衝撃を与えたのだった。

1月5日(水) 初練習

 今年初めてのフラッグフットボールの練習に行く。
 ディフェンスのアズキくんともつれあって、激しく転んでしまった。地面に投げ出されるような転び方で、トレーナーの袖がめくれてひじを擦りむいた。
 王子Bにそのことを話すと「そんなけがなんて、もうずいぶんしたことないなあ」と感慨深く言われてしまった。そりゃそうだろ。このトシでこういうけがをするほうがまれである。
 

1月3日(月) ライスボウル

 ライスボウルを見に、東京ドームに行った。アサヒビールクラブ対関西学院大学。
 エスコート役は王子B。
 松の内だから、思い切って訪問着を着た。この日、キモノを着ている女性といったら振り袖を着たお嬢さんがほとんどであろう、と予想したうえでの選択だ。若い王子Bが少しでも誇らしく思えるようにと、薹が立ったオンナはいろいろタイヘンなのだ。
 ドームの近くのレストランでお昼を食べた。
 ゲームはとても楽しかった。金岡さんの活躍がスゴイ。
 ゲームの後、観光気分で水上バスに乗ってみた。パレットタウンに行きたかったが、あいにく運行していなかったので、浅草に行くことにした。
 浅草の中華料理店でゴハンを食べる。
 外観はとても期待できそうな感じだったのに、おいしくなかった。ふたりともがっかりした。
 来月、王子Bのスケジュールの都合がついたら一緒にスキーに行くことになっているので、お茶を飲みながらパンフレットを見た。
 うーん、どこに行こうかな?

1月2日(日) 水入らず

 水戸の私の実家に行く。
 毎年この日は私たち夫婦と妹夫婦、両親、弟、の一家勢ぞろいでスキヤキを食べるのが恒例となっているのだ。
 一昨年から犬も連れていっている。
 両親も妹夫婦も、ウチの駄犬どもに逢えるのをなぜか楽しみにしているのだ。義弟など、犬と遊ぶために「汚されてもいい服」を用意しているくらい。
 父が犬たちを散歩に連れて行ってくれた。(現在、父の一日は散歩がすべてらしい)
 去年と同様、かなり長い時間戻って来ないので一同心配するが、無事帰ってきた。
 「犬を連れた人とたくさんすれ違ったけど、私は2匹連れている!という優越感を感じた」なんて言うもんだから「それってなんの意味があるの?」と大笑いした。第一、高級犬ならまだしも、うちののんちゃんとかんちゃんじゃ....。
 「な、真理子。そのう、あんまり言いたくないが....、かんちゃんは、なんというかそのう、あまりりこうではないな?」
 ものすごく言いづらそうに父がこう言ったので「まったくその通り!」と笑って答えておいた。

1月1日(土) 元旦

 母から譲られたキモノを着てみた。
 母が花嫁修業中に縫ったものと思われるが、なんと、しつけ糸がついていた。
 つまり、一度も袖を通していないのだ。せっかく縫ったのに、なんてもったいない。
 思いの外、私に似合うような気がするんですが、いかがでしょうか?

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