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Archive for the ‘hitorigoto’ category

A動物病院 H先生

こんにちは、青山です。
いつもうちの動物たちがお世話になっております。

先日、お電話でお話ししました通り、11月1日夜、ノワールが急逝いたしました。時間外でしたのに、折り返しのお電話、どうもありがとうございました。
2日に荼毘に付し、今、家の中にお骨があります。

最初は外で飼っておりました。近づくだけで、飛び跳ねて喜ぶ、人懐こい犬でした。しかし、3歳を過ぎた頃から、落ち着いたというか、人に期待をするのを諦めたようでした。

このことに対しては、本当に申し訳なく思っています。

2002年頃から室内飼いに移行し、家の中で犬と暮らすって、こんなに楽しいんだ!とびっくりしました。

最初から、室内飼いにすればよかった。

今でも悔やまれ、死んだノワール、今も元気なカルロスに申し訳なく思っています。
外飼いの時間を、室内飼いの時間が超えたことがせめてもの自己満足です。

1日、ノワールは息を引き取るまで、変わった様子はまったくありませんでした。
散歩にも行き、おやつを食べ、夕飯をつくる私にまとわりつき、ブロッコリーの茎を生のままボリボリ食べました。
そして、いつものように、食卓の上のおかずをじっと見つめ、食事が終わると、こたつの横で「伏せ」のような体勢で眠っていました。
眠っていたと思っていました。
夫が「オシッコしようか」と体を触ったら、もうぐったりしていたそうです。
私も急いでそばに行きましたら、舌は白くなり、目も開いたままでした。
鳴き声もあげませんでしたし、けいれんもしなかったと思います。
すぅっと、眠るように逝ってしまいました。

もっと、私達に、迷惑をかけてくれてもよかったのに。
のんちゃん、いい子すぎるよ。

そう思いました。

荼毘に付す日、私は教籍を置いている教会の牧師さんに電話しました。そしたら、まさにそのとき、埼玉に向かって車を走らせてたそうで、途中、家に寄ってくださり、お祈りを捧げてくださいました。偶然にも、お葬式の衣装までお持ちでした。
ここまで続くと、神様に愛された犬だったなあ、と思わずにはいられません。

1996年に、私は、初めて飼い猫を亡くしました。

先生、覚えておいでですか?

黒猫のチャーという猫で、急性糖尿病で、発症して翌日か翌々日に天に召されてしまいました。
そのときに、残された猫たちを、悔いのないように愛して行こう。と思ったのです。いわば、チャーが教えてくれたことです。

その後に、ノワールを飼い、カルロスを飼い、猫も死んだり増えたりしました。

さみしいけれども、悲しくはありません。
生前、楽しい思い出をたくさんもらったし、悔いのないように愛したつもりなので。

ささいなことで不在を感じるとき、それがほんとにさみしいですね。

H先生、今まで大変お世話になりました。
天国でノワールも感謝していると思います。

そしてこれからも、残された犬猫を、どうぞよろしくお願いいたします。

重い夜

さて、今から寝ようと思うのですが、睡眠障害がある上に、また別の問題が起きつつあります。

ふとんごしに、猫が私のからだのあちこちに乗って寝るんですよ!
足の間、恥骨の上(これがずっしりと腰にクる)、胸の上。

ふとんの中に入ってくれれば問題ないんです。

上に乗られると、重い!すっごく重い!!

おかげで寝苦しくて、何度目が覚めることか…。

夫の上には乗らないんですよね。

なぜか。

それは、私の体の方が脂肪がついていてやわらかいかと思われる。

もっと寒くなると、ふとんの中に入ってくれます。
それまでの辛抱だ。

弱音

のんちゃんのショックと、風邪だかなんだかわからない体調不良の相乗効果で、ヒーヒー言ってます。

咳と痰がひどいので、喘息の吸入薬を開封するかどうか、迷う。
1度開封すると1ヶ月しかもたないので、本当に咳喘息になったときのために、温存しているのです。
ストナをのんで様子をみる。

しかも、吐く。

咳は嘔吐中枢を刺激するので、咳のせいもあるのだろうけど、お腹が気持ち悪い。

胃?

そんな中、キャンプ仲間から温かいメールのお返事を頂いたり、世捨て人宣言をした友人に(ムツゴロウさん的に『よーしよしよし』とのんちゃんを可愛がってくれていた)メールアドレスが変わってないか不安になりながら報告メールをしたら、返事が来て、しかも「またご飯食べましょう」と書いてあったので嬉しくなったり、買い込んだ食材がやばくなってきたので夫のお弁当のつくりおきおかずをつくったり、ヤフオクがイッキに5品落札されたり、疲労性皮膚炎ができているので皮膚科に行ったり、お義母さんの病院の送迎をしたり、夫の飲み会の送迎をしたり、ひと息つくと「居ない」と思ったり、

それでも地球は回っているのです。

最後のkiss

サイズが大きかった訳ではないけれど、存在感が大きかったから、家が「がらん」とした感じです。

いつもそばにいたし、ぼいーんぼいーんとしょっちゅう体を私の足にタッチしてきたから。
あの感触は、牧場でエサをやることができる羊そのもの。
ペレットを買って柵に入ると、わらわらと羊が寄ってくる。
あっと言う間に羊に包囲される。てか、羊の海を泳いでいる感じ。
高さ、毛の感触、タッチの強さ、どれものんちゃんとうりふたつ。

料理をつくってるときは、ほんとうにうるさくまとわりついて(しかもデュアルで)、よく包丁で刺さなかったもんだよ、お互いに。

飼ってるというよりは、一緒に暮らしてたって感じ。

かんちゃんが、最後のチュウをしていました。

最後のチュウ

こんばんは、真理子です。

このメールは、河原キャンプでのんちゃんを可愛がってくださった方々に
お送りしています。

11月1日夜、のんちゃんが天に召されました。享年14歳でした。

その日は日中も普段とまったく変わりなく、夕飯をつくる私にまとわりつき、
ブロッコリーの茎(生)を与えるとボリボリと食べ、
私達が夕飯を食べている最中も、いつものようにおかずをじっと見つめ、
食事が終わり、こたつの横で静かに寝ていると思ったら、亡くなっていました。
苦しい声を上げることもなく、眠るように、すうっと逝ってしまいました。

階段を降りるのが苦手になっていましたが、散歩にも元気に出かけ、
走ってもいました。

年末の極寒キャンプもここ数年欠席で、みなさんにはとんとご無沙汰しております。

あのキャンプでは、本当〜に、みなさんにはウチの駄犬ズを可愛がって頂き
感謝の気持ちでいっぱいです。

村長さんがお持ちくださったマグロのカマを、丸ごとくわえて走り去った
のんちゃん。あのときは、本当〜に申し訳ありませんでした。

河のメルセデスをいつも快く貸してくださった隊長、毎回毎回、毛だらけにして
すみませんでした。

田崎さんのファルトを壊してしまったこともありましたね。
あのフネがのんちゃんのカヌー犬デビューでした。

ああ!
なんて、楽しい思い出ばかりでしょう!

みなさんから愛されて、本当に幸せな犬だったと思います。

亡くなった夜は、夫と私の間に寝かせ川の字になって寝ました。
狭くて、暑苦しかったです。

翌日荼毘に付し、まあ、ちょこちょこ泣いたり、慟哭したりしましたが、
生前、惜しみない愛情を注いだので、淋しいけれども悲しくはありません。

さて、残されたかんちゃんですが、驚くべきことに、全然変わりません。
のんちゃんの不在を不思議に思うそぶりなど、微塵も見せません。

ここまでアホだったとは…。

親バカですが、写真を数枚添付しますので、笑って見てやってください。

最後の1枚は、仔犬時代のものです。別の犬ですよね。

では、寒さもガンガンやる気を出してきたようです。
みなさんも風邪など召しませんよう、お体にお気をつけてお過ごしください。

次にお逢いできる日を、楽しみにしています。

お気に入りの場所。私の机の下。


虹を渡るのんちゃん。


この仔犬が、ああなるとは…。

日記に書くまでもないかな、と思ってツイートにとどめるつもりだったけど、つぶやき足りなかったので、書いてます。

2008年の夏の甲子園、茨城県代表の常総学院のエースは、島田隼斗くんでした。

本来は野手だったそうですが、エースが故障して、急きょマウンドに上がることになったそうです。

中盤くらいから、表情が苦しそうになり見てる私の方も「心が折れそうだ」と思いました。

健闘むなしく、常総学院は負けてしまいました

木内監督は、お父さん(島田直也さん)の姿を重ね過ぎてしまった。とコメント。

のちに、お母さんが泣きながら「どうか、野球を嫌いにならないで」とおっしゃってるのを観ました。
私もそれを聞いて、胸が締めつけられるような気がしました。

あの夏の甲子園のマウンドの隼斗くんは、それほど苦しそうだったのです。

しかし、さっき、中央大学野球部の公式サイトを見たら、2年生の内野手に彼の名前を発見

よかった。野球続けてたんだ。

よかった。よかった。さっきのドラフトの後のドキュメンタリーよりも泣けたよ。

ドラフト

4時半から7時半頃まで、ずっと観てました。

日ハムに、斎藤くん、乾くん、榎下くんて、88年甲子園組揃ったね?(ま、普通に進学してれば同時期にドラフトだけどさ)。

中央大学の澤村くんが讀売に指名されたのは良かったけど、前特集でさんざん映ってた捕手、あれ、哲新くんだよね!?

なーんで、どこのチームも指名しないのさ!!

それだけが、悲しい。

もう寝ます。

ヨコカン

車両保険が下りたので、引き出してきました。
それと、私の実家に一時立て替えてもらったお金と合わせて、けっこうな厚さになったし、
いくらあるのかわからなかったので、メクールを指につけてヨコカンをしてみました。

ヨコカンというのは、ほら、銀行の窓口で行員さんが扇のようにお札を広げているでしょう?
あれです。

スーパーのレジの人が、お釣りを確認するのに「いち、に、さん、し…」とやるのは、タテカンといいます。

どっちにしろ、私は、札勘(サツカン)が苦手です。

現金を扱わない仕事だったというのもありますが、たまにやらされると、ヨコカンでお札がばさっと落ちたりして…論外です。

でも今は、機械で数えていて、お札を扇のように広げる光景もめったに見られなくなりましたね。

自宅でヨコカンなんて、久しぶりにやりましたよ(そんなに大量のお札が存在しないので。笑)

今度、10万円を千円札にくずしてきて、ばっさばっさと広げてみようかな(ふ、不毛だ)。

私は、中国産の野菜・食品を買うのにまったく躊躇しません。
だって、安いんだも〜ん。
それにさ、中国の人だって、同じものを食べてるんでしょ?

日本向け輸出用の専用畑でもある訳?

そういう背景もあって、私は「国産」という文字を見ると「高級品」という単語が連想されるようになりました。

生姜は、だいたい倍ぐらい値段が違うので、いつもスーパーで中国産のを買ってました。

先日、お義母さんちに行ったら、玄関先に土のついたでっかい根生姜が無造作に転がっていました。

うわっ!こんなところにお宝が!

と私は心の中で叫んだね。

うわー、お義母さん、生姜つくってたんだー、知らなかったー。

もちろんそれ以来、自家製無農薬の生姜を食しています。タダで。

お義母さんは、冬野菜はほとんど網羅してつくっているので、冬は野菜をほとんど買いません。

白菜、春菊、大根、ほうれん草、ねぎ…楽しみだなあ。

間が悪い

今朝、かなりしんどかったのに、夫に頼み込まれて、お弁当をつくりました。
夕べ、お粥を炊いて、洗わないで寝ちゃったから、炊飯鍋を洗うところから。
そうそう、私も風邪をひいてますが、夫もひいているのです。
かなり良くなっているそうで、そういうときに外に食べに出たくないから、と言われて、しぶしぶつくった訳です。

おかずは、作りおきして冷凍してあったもので。

エビチリ、ゴボウの肉巻き、小松菜のおひたし、ひじき煮。

それと梨をむいて、保冷剤内蔵のフタ(凍らせて使う)の容器に入れる。

夫を送り出して、ベッドに入って少し本を読んですうっと寝入って気持ちよく寝ていたら、電話が。

整備工場の社長さんからで、今日、交換する予定のAZワゴンが戻ってきました?。と。

13時って聞いていたので、早くてびっくりする。時計をみると、10時半。

「支度をしてお伺いします」と答えると「燃料、満タンにしてきてくださいね?」と。

かなりしんどいけど、ゆっくり温まりながら支度をして出かけることにします。

は?、胸が苦しいよ。

帰ってきたら、速攻で寝よう。