明日は、神立にある土浦診療検診センタに行く日。
家の車を使うので、午前中診察を受けたあと、速攻で母の病院へ行こうと予定していました。
そしたら、夕方、妹から電話で
「お姉さん、お母さん明日退院だって!」
ええ!?
聞いてないよ〜!
なんでも父が言うには、母は「ヒマだからまいちゃんとみほこには自分で電話する」と言ったそうなのですが、電話かかってきてないよ〜。
ま、いっか。
明日は、病院が終わったら実家に直行だ。
明日は、神立にある土浦診療検診センタに行く日。
家の車を使うので、午前中診察を受けたあと、速攻で母の病院へ行こうと予定していました。
そしたら、夕方、妹から電話で
「お姉さん、お母さん明日退院だって!」
ええ!?
聞いてないよ〜!
なんでも父が言うには、母は「ヒマだからまいちゃんとみほこには自分で電話する」と言ったそうなのですが、電話かかってきてないよ〜。
ま、いっか。
明日は、病院が終わったら実家に直行だ。
シトロエンのフェアに行って、来場者プレゼントのマルチナイフをもらいました。
プラスドライバー、アイスピック、やすり、糸通し、コルク栓抜き、栓抜き、缶切り、はさみ、横目のこぎり、縦目のこぎり、ナイフが装備されています。
キャンプに持って行こう。
今日は夫と一緒に母のお見舞いに行ってきました。
手みやげは、土浦で大人気の「どてきん」
これは何かというと、いわゆる今川焼きなのですが、なぜ「どてきん」と呼ばれているのか。
お店が桜川沿いの土手にあり、このあたりでは今川焼きをきんつばと呼ぶそうで「土手で売られているきんつば」が縮まったものと思われます。
こじんまりとした古びたお店ですが、清潔できちんと整理整頓されていて、店内にはきれいな百合がたくさん活けてありました。
夫が家に忘れ物をしてしまったので、取りに行っている間、店内で待たせてもらったのですが、その間にもひっきりなしにお客さんが訪れて、どてきんは飛ぶように売れていました。
おじさんがひとりで焼き、おばさんが包装とお会計担当です。
材料がなくなったら店じまいです。早いときには午後2時頃になくなってしまうこともあるとか。
人気があるのが納得するほど、おいしいんです。あんこがたっぷり。皮もふわふわ、モチモチなんです。
病室のみなさんにおすそ分けしようと、10コ買いました。
病院に行く前に、お昼ご飯。
茨城大学前の「大興飯店」に行きました。
病室に入ると、先日母が寝ていたベッドのシーツやふとんが片づけられていました。
「えっ?」と驚くと、母は窓際のベッドに移動していました。
日当たりの良い場所に引っ越したそうです。
「まいちゃん、来てくれたの」と笑顔で迎えてくれました。
父は帰ってしまった後でした。
あいにく、同じ病室の患者さんたちは、母を除いて全員病院食しか口にしてはいけないそうで、どてきんを食べてもらうことはできませんでした。がっくし。
母は「おいしいね。あんこがたくさん入ってる」と、ぱくぱく食べていたので安心しました。
点滴もしていませんでした。
夫の粉瘤の話をしたり、退院日の話をしたり、父に家事を覚えてもらおうなどという話をしました。
3時にシャワー室の予約をしているそうで、15分しかいられませんでした。
私はもっと母のそばに居たかったので「シャワーが終わるまで待ってる」と言ったのですが、いいからいいから、と母に押し切られて帰ってきました。
ま、病室の方々と楽しくやってるみたいなので、さみしいことはなさそうでよかったです。
帰り道、笠間のUTSU工房ペニーレインに寄りました。
夫はギターショップへ、私は奥様がやっているNOBU’S CAFEへ。
カフェには男性のお客様がひとりいらしていました。
最初は、その方と奥様がおしゃべりしていたのですが、ものおじしない私、するすると会話に入り込み、いつの間にか、3人で話に花を咲かせていました。
そのうち、その男性WさんがMacユーザであることがわかり、奥様そっちのけで盛り上がってしまいました。
Wさんは、20年前、茨城県で個人では3番目にMacを買った人なのだそうです。
MIDIをやりたくてMacを買ったそうですが、当時高校生だったので親御さんにお金を借りて、アルバイトをして返済したそうです。
楽しいお話をたくさん聞かせて頂きました。
私は、これきりになってしまうのを残念に思い、ずうずうしく、メールアドレスの交換をお願いしてしまいました。
これからも、すてきなおつきあいができればいいな。
夕飯は、手抜きでお寿司のテイクアウト。
今日は、朝起きられなくて(と言っても6時前には起きましたが)、お弁当つくりをさぼってしまいました。
朝ご飯のしたくも、夫が手伝ってくれました。
夫が出勤した後、かっぱを来て犬と散歩に。
そして、お風呂を洗い、食器を洗ったら、今日の家事は終了。
日記を書いて、録画した水曜日のいいともを観て、メール(350通以上溜まってた)を開いたりしてのんびりと過ごしました。
午前中、父が疲れていないかな?と電話したら、留守。ちょっと心配になる。
お昼にまたかけたら、おうどんをつくって食べてました。
図書館に行っていたそうです。
充電は完了。
明日からまたがんばりまっしょい。
せっかく長野から来た妹が泊まっているというのに、私は9時半から病院。
頭痛でかかっている隣町の大学病院です。
予約を変更してもらおうとすると、2週間以上先になってしまうので、泣く泣く予定通りに。
車を使いたかったので、夫を会社まで送る。
わが家の朝ご飯は6時で、妹には早過ぎるので寝ていてもらいました。
帰宅後、妹に朝ご飯を用意していると、妹が「できれば、今日もお母さんの病院へ行きたい」と言うので、それもそうだということになり、急きょ、私が病院から帰ってからうちの車で水戸まで行くことにしました。
大学病院は、診察に1時間、薬局に20分かかりました。
なんとその間、妹は、食器を洗って掃除機をかけてくおいてれました。ありがたや〜。
帰宅後、妹と犬の散歩に行き、コンビニでお昼ごはんを買い、高速を使って水戸まで行きました。
1時ちょっと過ぎに病院に到着。
病室をのぞくと、父はまだ来ていなくて、母は眠っていたので、談話室で買ってきたお昼を食べることにする。
妹と楽しくおしゃべりをしながら食べていると、「まいちゃん」と聞きなれた声が。
見ると、パジャマ姿の母がエレベーターホールに点滴スタンドをたずさえて看護師さんと並んで立っていました。
「レントゲン撮ってくるから」
と言って、母は看護師さんと一緒にエレベーターに乗って行きました。
あまりにも普通だったので、驚きました。
妹と「元気そうだったね」「よかったね」と喜ぶ。
しばらくして母が戻ってきて談話室で3人でおしゃべり。
母はこざっぱりとしていて、とても昨日手術をした人とは思えないほど元気だったので安心しました。
しこりに気づいたのは、着替えたときにちょっと胸が痒かったので掻いたら固いものに触れたということでした。
「バストが大きい人は気づきにくいらしいね。お母さんはぺっちゃんこだから」と言っていました。
退院後にゆっくり養生できるように、1週間くらい私が泊まり込んで家事をすると言ったら「大丈夫だから」と固辞する母。
だってだって、お父さんたら「お父さんは大丈夫だよ。なんとかできるから」と言うけど、心配なのはお母さんの体なんだよ!
料理がほとんどできない父、病み上がりの母に毎日ウィンナー炒めを食べさせる訳には行かないじゃないですか。
弟だって激務で疲れているし、父だってトシだし、掃除機は誰がかけるの?トイレ掃除は?
働き者の母は、無理して家事をしてしまうにちがいありません。
心配だよぉ〜。
やがて父が現れたので「お父さん」と声をかけて、4人でおしゃべり。
父は、昨日持ち帰った母の着替えを洗濯し、乾くまで待っていたのだそう。
実は昨日、手術前に母が「着替え持って来てくれた?」と父から受け取ったものを広げ「これじゃないわよ」と言ったのは、防寒用のひざまである「さるまた」だったのです。母は、わかりやすいように一ヶ所に置いて入院前に父に教えておいたそうなのですが、父はそのさるまたが母の所望している「ぱんつ」だとこれっぽっちも疑わずに持ってきたそうで、隣に置いてあった小さいぱんつを「ついでに」持ってきたそうなのです。
「これよ、これ」と母はぱんつを受け取り、カーテンを閉めて着替えたのでした。
なので、手術の間「お父さん、明日はちゃんと小さいぱんつを持って来てあげてね」と言って笑っていたのです。
そして、その父は母に茶托のありかを聞いています。
来客があるそうで「じゃ、いい(来客用の)お盆はどこにあるんだ?」と次々と聞いているので、傍らで見ていて不安になりました。
2時になると母は「みほこ(妹)は遠いんだから、そろそろ帰ったら?追い返す訳じゃないけど」と言いました。
私はもっと母のそばに居たかったのですが、当の本人がそう言うので3人そろっておいとましました。
私は妹を駅まで送り、実家に寄ってお茶の支度の様子を見ることにしました。
ちゃんといいお盆に来客用の茶器を用意していたので安心。
「じゃ、何かあったら遠慮しないで連絡してね」と言って、実家を後にしました。
土浦までの帰り道の眠かったこと!
怠け者の私には、一昨日からのスケジュールがハード過ぎたようです。
夫は1時間ほど残業するそうなので、家に着いて少し眠りました。
夕飯は、夫を迎えに行った帰り道、幸楽苑に寄ってラーメンを食べちゃいました。
明日は特に予定がないので、夫を送り出したら、少しのんびりしようと思います。
☆エピソード「病理検査」☆
手術で摘出したがん細胞は、筑波大学大学病院の先生が検査するそうです。
それについて父は、手術前の説明で写真を見せられたそうなのですが、
「刺身のようにスライスして検査するんだ」
お父さん・・・刺身って・・・。
☆エピソード「妹の嫁ぎ先」☆
妹の舅も、もしかしたら肺がんかもしれないということなのです。
レントゲンで肺に影が映っているそうなのですが、舅は「好きなことをやって、ぽっくり死にたい」と言って、頑として病院に行かないそうなのです。
がんでぽっくり死ぬかどうかは別にして、娘である妹の義姉は(ものすごくサバサバした性格、現役のCA)、
「せめて、余命はどれくらか聞いてきなさいよ。こっちの都合もあるんだから」
と言ったそうです。
妹の舅、東大法学部卒、○ALの元・役員。エリートも病気には勝てない。
☆エピソード「まいちゃん」☆
母は、私のことを「まいちゃん」と呼びます。
幼かった私が自分のことを「まりちゃん」と言えずに「まいちゃん」と言っていたのかな〜と推測しています。
弟も母にならって「まいちゃん」と呼びます。
妹は「お姉さん」、父は「まりこ」、夫も「まりこ」です。
朝起きたら、お腹の調子がとても悪い。食欲もまったくない。
なので、朝ご飯はりんごジュースのみ。
母も手術ですが、実は夫も手術だったりするのです。
鼻の下に粉瘤というものができて、隣町の大学病院で摘出することになったのです。
午前中で会社から帰ってきて、義父に送り迎えしてもらって手術を受けます。
私はバスと電車を乗り継いで水戸まで行き、妹と合流して病院に向かう予定。
バスの時間まで、必死で掃除をする。
というのも、妹が今晩泊まるため。
時間になったので、昨日買ったお花を持って家を出る。
12時5分、水戸駅で妹と合流。
スタバでランチを済ませ、歩いて病院に向かう。
妹と水戸市街を歩くなんて、もう10年以上ぶりです。
妹が損保会社で、私が銀行で働いていた頃、仕事が終わってからよくふたりで遊び歩いたものです。
なつかしい、なつかしいと連発しながら歩く。
病院に着くと、父とばったり。
3人で病室に着くと、さすがに母は元気がありませんでした。
やがて午後から休暇を取った弟も到着。
弟は私が以前勤めていた銀行に勤めていて、病院からは徒歩で10分。
手術は2時からなのですが、6人部屋に4人も押しかけているのは迷惑なので、10分前に戻って来ようということになり、母を残して談話室に移動。
時間になり、ストレッチャーに乗せられた母に付き添ってぞろぞろと手術室の前の待ちあいコーナーへ。
大変な思いをしている母には申し訳ないのですが、この待ちあいコーナーで、久しぶりに顔を合わせたということも手伝い、私たち家族は思いの外、楽しい時間を過ごしてしまいました。
もちろん話は母の病気のことが中心でしたが、旅行の話とか、今回父が持ってきた母の着替えの間違いの話とか、ほとんど笑ってました。お母さん、ごめん。
きっちり1時間半経った頃、執刀医の先生が出て来られ、晴れ晴れとしたお顔で手術は大成功だったと話してくれました。そのお顔を拝見しただけで、母の病状の見通しが明るいことがわかりました。
転移はなかったそうです。
ただ、母は胸が小さいので、ちょっと形が変わってしまうかもということでした。
最近は医療技術が発達しているので、普通の大きさの人だったら、残ったお肉を寄せ集めて縫合し、ほとんど見た目を変わらずに手術できるのだそうです。
でも、そんなことどうだっていいです。元気になってくれれば。
お礼を申し上げて、先生を見送る。
20分後、麻酔から覚めた母が運ばれてきました。
ストレッチャーに乗せられた母とともに、みなで病室に戻る。
痛み止めや抗生物質の処置をしてもらい、やっと落ち着きました。
酸素マスクごしに母が何か言ってると思ったら、
「青山くんの手術は?」
無事終わったよ〜!
もっと自分の心配をしてよ〜!
「お母さん、先生が失礼なこと言ってたよ。胸があまり大きくない人って(笑)」
「うん。お母さんは『スリム』って言われたよ」
あまり長居すると母が疲れてしまうということで、ほどなくして病室を後にしました。
父に駅まで車で送ってもらい、妹と土浦まで帰りました。
車中、父に私がびーびー泣いたことを話したら「やっぱり泣いたか」と笑ってました。
父は、私たちが心配すると思って、母がすっかり入院してから電話で知らせてきたのですが、そのとき、
「あのな、まりこ。お母さんが・・・」
と、タメがあったので、私は飛び上がるほどびっくりし、母が死んじゃったのかと思ったのです。
というのも、母の妹つまり私の叔母は、仕事帰りにばったりと倒れそのまま亡くなってしまったので、何があってもおかしくないと思い知らされていたので。
母と叔母は本当に仲が良かったので「のんこおばちゃんが生きていたら、お母さん、きっと心強かったよね」としみじみしました。
駅まで夫に迎えに来てもらい(この頃はもう麻酔も覚めていた)、3人で旭屋に行きました。
夫はマスクで鼻の下の絆創膏を隠していました。来週、抜糸だそうです。
夫が牡蛎フライ、妹がアイナメ、私がしめ鯖の定食を注文。追加で、生ガキを3つ注文。
生ガキの身が大きくてびっくり!
潮の香りがして、ものすごくおいしかったです。
しめ鯖も、今まで食べたしめ鯖の中でダントツナンバーワンです。
妹もおいしいおいしいと言って食べていました。
満足して旭屋を後にし、スーパーで食材を買って帰りました。
母の手術が大成功したことで、妹も私も本当にほっとし、なごやかに夜を過ごしました。
昨日の日記を読んでくださった方から、コメント(mixiの方に)を頂いたり、メールを頂いたり、電話を頂いたり、人の優しさをひしひしと感じた一日でした。
ここ数日、お腹がしくしくと痛むので、夫に病院に行くように勧められ、夫を会社に送って家の車を使って病院に行ったり買い物をしたりしました。
夫を送って帰宅してから洗濯機を2回回し、客用のふとんを2階まで運んで干し、病院に行き、お見舞い用のお花を買い、日用品を買い、犬と散歩に行き、掃除機をかけ、ふだん使っていない和室を片づけ、お米を研いだら、夫を迎えに行く時間。
夕飯は秋刀魚のラー油煮。
今、洗いものを済ませたところです。
疲れました、めっちゃ。
明日は、10時31分のバスで駅に向かい、電車で水戸まで行きます。
バスの時間までに掃除をし、犬と散歩に行かないと。
もう寝ます。
早く母の顔を見たい。
母が、今日乳がんで入院しました。
父からの知らせによると、転移は今のところ見つかっておらず、がんも小さく、それが不幸中の幸いということでした。
明後日、手術です。長野に住む妹と一緒に顔を見に行く予定です。
ここ5年ほど検診を受けていなかったそうで、母は自分でしこりに気づいたそうです。
苦労ばかりの母の今までの人生を思うと、母がかわいそうで泣けて泣けてしかたがありませんでした。
「迷惑と心配しかかけていない、私は親不孝しかしていない」と泣いていたら、夫に「死ぬわけじゃないんだから、これから親孝行すればいい」と言われました。
だけど、今になってがんになるなんて!
とりあえず、今日はもう寝ます。
最近、DAIGO ROCKを購入しました。
テレビに出ている様子を見て、ブログを読んで、この本を読んで、この人は家族に愛されてまっすぐに育ったんだなあと、しみじみ思いました。
愛されて育ったけれど、甘やかされてはいない。
甘やかされていたら、あの気遣いと、周囲への感謝はできないと思います。
本物のお嬢様も、愛されて育つけれども甘やかされてはいないと思います。
エセお嬢様は、がまんがきかない。わがまま。ちやほやされて当然だと思っている。
私が今まで出会ったお嬢様の中で、ピカイチなのはRさんです。
夫の女友達なのですが、私とも親しくなって、キャンプに誘ったことがありました。
あいにく天気は雨だったのですが、Rさんは嫌な顔は全然せず、楽しげにみなと一緒に夕飯の支度をし(これがまた、感心するほど気が利くんだな)、大ざっぱな野外料理をおいしそうに食べていました。
私と一緒のテントで寝たのですが、足元に雨水がしみてくる悪条件の中、すやすやと眠っているRさんを見て、この人はなんて健全な精神を持っているのだろうと感嘆しました。
これぞ正真正銘のお嬢様の輝きなんだなあ、と思いました。
がまんがきいて、順応性があって、聡明で、周囲への感謝を忘れない。
私の両親は、たぶん私がRさんのような女性になって欲しいと思って育ててくれたのでしょうが、あれだけ厳しく躾けられてもこのレベルだもの。
人間の本質って、生まれついたときに決まっているのでしょうか。
もしも、甘やかされて育っていたらと思うと、考えるのもおそろしいです。
朝、頭痛で目が覚める。
せっかく頭痛薬をのまずに暮らしていたのに・・・・。
暗澹たる気持ちで、片頭痛のお薬をのむ。
午前中にあれこれと用足しや買い物を済ませる。
ひとりでも行けたのですが、風邪引き夫がつきあってくれました。
お昼は、マクドナルドのテイクアウトにしちゃいました。
お昼寝をした後、犬と散歩へ。これはひとりで行きました。
夕飯は、戻りカツオのお刺し身。
たっぷりのにんにく醤油で頂きました。
それにしても、体が痛い。頭も痛い。
早く良くならないかな。