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1995年から1998年までの4年間、8月の下旬は3泊4日で山形に行ってました。
「椎名誠とあやしい探検隊のやまがた林間学校」というJRのツアーに参加していたのです。
作家の椎名誠さんと交友のある方々が塾長になり、架空の(?)林間学校が開かれていたのです。
各塾100名前後なのですが、毎年、椎名塾はすさまじい数の応募があったそうです。
一応先着順ということになっていましたが、望ましくない方ははずれていたような・・・。
最初の年は、夫と参加しました。
キャンプだったのですが、道具をなにひとつ持っていなかった私たちは、ふだん使いの陶器の食器を持って行ったことがなつかしいです。
テントを張るのも初めてで、夫は椎名さんに教えてもらいました。(あまり親身には教えてくれませんでしたが(笑))
友達ができたので、翌年以降はひとりで参加しました。
それに、夫がこう言ったのです。
「おれがいない方が、椎名さんにやさしくしてもらえるよ(笑)」
どうやら、テント張りを手取り足取り教えてもらえなかったことが原因のようです。
この林間学校に参加できるかどうかが、毎年ほんとうに悩みの種で、合格通知(と書いてあった)が届くまで、不安な毎日でした。
1998年が最後と言われ、さびしい反面、ほっとしたことを思い出します。
もう、悩まなくていいんだ!
タイミング良く(?)、翌年あたりからわが家は貧乏生活に突入し、何万円もするJRのツアーどころではなくなりました。

一番の思い出は、ケーナかな。
ある年、自分で竹に穴を空けてケーナをつくり、演奏するというプログラムがあったのです。
みな、音が出なくて四苦八苦している中、私はすらすらと吹くことができたのです。
理由は、フルートを吹くことができたからと思われる。
楽しくて、スーダラ節とかたんたんたぬきとか、お下劣な曲ばかり吹いて、椎名さんの周りをくるくる回っていました。
で、最終日、全塾が一同にかいするグランドフィナーレの直前に、椎名さんから部屋に電話がかかってきたのです。

「まりこ。まりこは、スーダラ節とたんたんたぬきは、どっちがうまく吹けるんだ?」

へ?

どうやら、塾の紹介のときに私に演奏してもらいたい、ということらしいのです!

そ、そんな、千数百人の前で、お下劣な曲を!?

で、でも、椎名さんの依頼を断るなんてできない〜。

「じゃ、スーダラ節でお願いします」

と言って、電話を切り、同室の友達たちにその旨を告げると、みな大コーフン!

ほんとうに踊ってはしゃいで、私は自分のケーナを踏んで割ってしまいました!ピーンチ!
一瞬、みな凍りつきましたが、友達が「私のを使って!」と言ってくれて、ことなきを得たのですが。

ステージでは、スーダラ節を笑いの中演奏し、最後の音がなかなか出なくて必死に吹いていたら、嵐山光三郎さんに頭を叩かれてつっこまれるというおいしいオチがつきました。

やっぱり、楽しかったな、やまがた。