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手術当日

朝起きたら、お腹の調子がとても悪い。食欲もまったくない。
なので、朝ご飯はりんごジュースのみ。

母も手術ですが、実は夫も手術だったりするのです。
鼻の下に粉瘤というものができて、隣町の大学病院で摘出することになったのです。
午前中で会社から帰ってきて、義父に送り迎えしてもらって手術を受けます。

私はバスと電車を乗り継いで水戸まで行き、妹と合流して病院に向かう予定。

バスの時間まで、必死で掃除をする。
というのも、妹が今晩泊まるため。

時間になったので、昨日買ったお花を持って家を出る。

12時5分、水戸駅で妹と合流。
スタバでランチを済ませ、歩いて病院に向かう。
妹と水戸市街を歩くなんて、もう10年以上ぶりです。
妹が損保会社で、私が銀行で働いていた頃、仕事が終わってからよくふたりで遊び歩いたものです。
なつかしい、なつかしいと連発しながら歩く。

病院に着くと、父とばったり。
3人で病室に着くと、さすがに母は元気がありませんでした。
やがて午後から休暇を取った弟も到着。
弟は私が以前勤めていた銀行に勤めていて、病院からは徒歩で10分。
手術は2時からなのですが、6人部屋に4人も押しかけているのは迷惑なので、10分前に戻って来ようということになり、母を残して談話室に移動。
時間になり、ストレッチャーに乗せられた母に付き添ってぞろぞろと手術室の前の待ちあいコーナーへ。

大変な思いをしている母には申し訳ないのですが、この待ちあいコーナーで、久しぶりに顔を合わせたということも手伝い、私たち家族は思いの外、楽しい時間を過ごしてしまいました。

もちろん話は母の病気のことが中心でしたが、旅行の話とか、今回父が持ってきた母の着替えの間違いの話とか、ほとんど笑ってました。お母さん、ごめん。

きっちり1時間半経った頃、執刀医の先生が出て来られ、晴れ晴れとしたお顔で手術は大成功だったと話してくれました。そのお顔を拝見しただけで、母の病状の見通しが明るいことがわかりました。
転移はなかったそうです。
ただ、母は胸が小さいので、ちょっと形が変わってしまうかもということでした。
最近は医療技術が発達しているので、普通の大きさの人だったら、残ったお肉を寄せ集めて縫合し、ほとんど見た目を変わらずに手術できるのだそうです。
でも、そんなことどうだっていいです。元気になってくれれば。

お礼を申し上げて、先生を見送る。
20分後、麻酔から覚めた母が運ばれてきました。
ストレッチャーに乗せられた母とともに、みなで病室に戻る。
痛み止めや抗生物質の処置をしてもらい、やっと落ち着きました。
酸素マスクごしに母が何か言ってると思ったら、

「青山くんの手術は?」

無事終わったよ〜!
もっと自分の心配をしてよ〜!

「お母さん、先生が失礼なこと言ってたよ。胸があまり大きくない人って(笑)」
「うん。お母さんは『スリム』って言われたよ」

あまり長居すると母が疲れてしまうということで、ほどなくして病室を後にしました。

父に駅まで車で送ってもらい、妹と土浦まで帰りました。
車中、父に私がびーびー泣いたことを話したら「やっぱり泣いたか」と笑ってました。
父は、私たちが心配すると思って、母がすっかり入院してから電話で知らせてきたのですが、そのとき、

「あのな、まりこ。お母さんが・・・」

と、タメがあったので、私は飛び上がるほどびっくりし、母が死んじゃったのかと思ったのです。
というのも、母の妹つまり私の叔母は、仕事帰りにばったりと倒れそのまま亡くなってしまったので、何があってもおかしくないと思い知らされていたので。
母と叔母は本当に仲が良かったので「のんこおばちゃんが生きていたら、お母さん、きっと心強かったよね」としみじみしました。

駅まで夫に迎えに来てもらい(この頃はもう麻酔も覚めていた)、3人で旭屋に行きました。
夫はマスクで鼻の下の絆創膏を隠していました。来週、抜糸だそうです。

夫が牡蛎フライ、妹がアイナメ、私がしめ鯖の定食を注文。追加で、生ガキを3つ注文。

生ガキの身が大きくてびっくり!
潮の香りがして、ものすごくおいしかったです。

しめ鯖も、今まで食べたしめ鯖の中でダントツナンバーワンです。
妹もおいしいおいしいと言って食べていました。

満足して旭屋を後にし、スーパーで食材を買って帰りました。

母の手術が大成功したことで、妹も私も本当にほっとし、なごやかに夜を過ごしました。