母から電話があった。
病理検査の結果が出て、悪性でなく心配はいらないということだった。
安心した。
泣きたいほど安心した。
私の母は、しつけに厳しくて、幼少の頃(というかその後々まで)私は怒られてばかりいた。
でも、こどもというのは絶対的にお母さんが大好きな訳で。
怒られても怒られても、家事に忙しい母がたまに散歩に連れ出してくれると、犬のように走り回って喜んだ。
散歩の行き先は、家からちょっと歩いた河原だった。
幼い妹と私は、キャーキャー歓声をあげながら遊びに没頭した。
ふと母をみると、しゃがんでエプロンに顔をうずめて泣いていた。
私が幼稚園に上がる前の出来事だったので、母はそのとき29歳か30歳くらい。
気丈な母が泣くなんて、よっぽど毎日がつらかったのだろう。
知らない家にお嫁に来て、姑、小姑にこき使われて。
亡くなったおばあちゃんを私は大好きだけど、この頃、もっと母に優しくしてくれていたら良かったのに。と思わずにはいられない。
母がよく働くのをいいことに、マヨネーズまで手作りさせていたらしい。
やり過ぎだよ〜、おばあちゃん。
母はもしかして、泣くために、私と妹を散歩に連れ出していたのかもしれない。
今まで私が母にしてきた親不孝の数々を思うと、穴を掘って南米大陸から顔を出したいくらいだ。
頭が良くて、美人で、働き者で、器用になんでもこなしてしまう母。
あんな優秀な母から、私は、美点をただのひとつも継承しなかった。
私が心の病にかかって、実家に身を寄せていたとき、母にこうもらしたことがある。
「私は、何もできない。お母さんはいいな、何でもできて」
すると母は、こう言った。
「でも、お母さんは面白みがなくてつまらないよ。まいちゃんみたいに明るくないから」
うつ病の私がそのとき明るかったかどうかは別にして、母は私の笑顔が好きだったことを思い出した。
そして、父のこどもの頃のあだ名が「マンガ」だったことも思い出していた。
父のお調子者の部分だけが遺伝した、ぐうたらでアホな私。
こんな私だけれど、これからもまたいろいろと心配をかけてしまいそうだけれど、できる範囲で精一杯、両親に親孝行をしたいと思う。