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父のあり方

父の日のお祝い、土日はお仕事を持ってる方で混みあうだろうから、せめて、混雑解消に一役買うため、毎日が日曜日のわが家は、いわゆるひとつの15日の水曜日の今日、私の運転で、父を接待しました。

大洗海岸にある潮騒の湯という温泉に入った後、山口楼でランチ。

このランチについては、写真があるし、ハプニングが多すぎて詳細を書く気力がないので(明日、書けたら書きます)、「父」つながりということで、さっきホンマでっか!?を観て思ったことを書きます。
まあ、ホンマでっか!?も、次の日曜の父の日に笑点、もとい、焦点を当てたコンテンツだった訳ですが。

一部の方はご存知ですが、私の両親は、育児・教育に関しては、「やり過ぎでは?」と思うくらい厳しかったです。

例えば、私は、短大を卒業するまで、門限がありませんでした。

これは、際限なく遊んでいいということではなく、逆に「早く帰宅するのが当たり前」だったからです。
だから、夜7時過ぎに帰宅したことはありません。すでに家に居ました。
外泊は、いかなる理由があってもNG。
ただし、ウチに友達が泊まるならOK。
就職するまでは、旅行もダメだったなあ。日帰りならOK。
合コンはNG。

中学に上がったら、夜7時以降のテレビは禁止されました。
仕方がないので「マンガのくに」とか観て、満足しようとしてましたよ。

高校生になっても、友達と出かけるって、ほとんどなかったですね。
どうせ「ダメ」って言われるから。
お洋服を友達と買ったこと、ないです。就職するまで。

でも!

家族仲、めっちゃいいですよ、ウチ。
きょうだい仲もいいです。

なんで、そんな牢獄のような生活で、レールを外れなかったのか?

さっき、ホンマでっか!?で、研究者の方々の発言が、ことごとくわが家に当てはまっていたのです。

思春期、進学問題で両親と衝突しましたが、それは単に、私の希望と両親に可能な教育費の捻出が噛みあわなかった、それだけの理由です。

だから、「意味もなく反抗する」って、私はなかったな、と気づきました。

中学生になっても高校生になっても、父を慕っていましたし(ファザコンです)、
「親の言うことは絶対服従」方針に、しぶしぶ従っていましたね。

それは、父のことも母のことも、尊敬というよりは一目置いていたからだと思います。

ホンマでっか!?では「父親が一ヶ月に読む本の量は、41%のこどもは同等かそれ以上の本を読む」という説がありました。

思いだせば、当たってます。
まあ、父が教員だったという職業柄、本を読んでいたというのもありますけど。

他にも、いい作用に働く説、ウチに当たってるヤーツ、たくさんありました。

「父親の語彙が豊富だと、こどもの知識の量が増える」とか(あ、当たってないか。私、無知で不勉強だし)。

しかしですよ!!

今の私は、真人間の道を踏み外しています。

でも、途中までは、なんちゃってエリートだったと思います。ホント。

父が私に教えてくれて、一番大切にしている言葉はこれです。

「人にプレゼントをするときは、自分が持っているものの中で、一番いいのをあげなさい」

小学校2年生のときに言われました。

こういうことをこどもに教える父親を持って、私は幸せだと思います。

<番外編>
あるお宅にお邪魔したら、結婚記念に人にくばるためにたくさん焼いたというオリジナルの小鉢があった。
「あなたたちに一組あげる」と、奥さんは言った。
そして、ご主人に、

「手作りで、ひとつひとつビミョウに違うから、家に残したいいいやつは選り分けてね」

私達夫婦(当時)が居る前で、堂々と言ったので、私はたまげましたとさ。