私がこの家で過ごしたのは、5年間ぐらい。
短大卒業と同時に新築したこの家に引っ越し、1度目の結婚をし出て行き、離婚して数週間戻り、2回目の結婚相手と暮らし始め、1年後にその相手と結婚した。(そして、また離婚…とほほ)。
その間に過ぎた時間、25年。
私達家族がこの家に引っ越してきたとき、近所には製缶(コンクリートの)工場があったもんね。
それがなくなって(倒産?閉業?)、LOC CITY水戸南ショッピングセンターなるものができた。
実家に遊びに来ても(今はもう完全に出戻ってますが)、となりのショッピングセンターにはあまり興味がなかったので、行ったことがなかった。
今日、父の車を借りてひとりで行ってみた。
ほほう。
プチつくばイーアスみたい。
ユニクロもあるし、ドトールもあるし、サーティワンもあるし、マクドナルドもあるし、家の垣根をくぐれば隣りというアクセスのところに、こんなスポットがあるなんて、なんか嬉しいぞ。
しかし、ダイソーがでかい。
巨大ソーと言ってもいいくらいだ(さ、さむっ!)
シネコンがあったら、満足度★★★★★
ヤマトが観たい。
勘のいい方は、うすうす察しておられるかと思いますが、メンタルクリニックに通っています。
まあ、どういう病気かは、言わなくてもいいですか?
その中の一環で、パニック発作が起こるのです。
これは、かれこれ5年くらい前から発症していました。
一番ひどかったのは、2007年くらいかなあ。
しょっちゅう離人症状が出て、その頃は離人症状を知らなかったので、
「幽体離脱?」
と思ってました。
さて、今回の引っ越しは、先週の金曜の28日でした。
そして私は、これは完全に私の落ち度なのですが、常用薬をぞんざいに梱包してしまったのです。簡単にいうと、どの段ボールに入っているのか、わからない、ということです。
荷ほどきがちっともできず、なので、28日の夜から、精神系のお薬、睡眠薬、血圧のお薬(ババくせ〜)、コレステロールのお薬などを、全然服用できなくなってしまったのです。
今日は2日なので(もう日付は変わってますが)、かれこれ5日も、のまなけれなならないお薬をのんでいなかったのです。
翌日は、疲れてるかな、ぐらいにしか思いませんでした。
そして日にちが経つにつれて、どんどん私は具合が悪くなっていったのです。
胸が苦しくて、めまいがし、首や腕の付け根が硬直し、吐き気がするのです。
思ったよりも疲れているのかも、と思いましたが、
もしかして、精神系のお薬を数日にわたってのんでいないから?
と思い、今日の重要な用事はこんな廃人には込み入った話はできないということで、元夫(まもなく)が延期の手配をしてくれました。
そして、かかりつけの病院まで、父が運転して連れて行ってくれました。
受付時間開始前に到着したのに、順番はすでに20番目。
ぐったりと吐き気をこらえながら3時間以上待って、やっと呼ばれ、ものの数分で私の診察は完了。
そして、お薬を処方されて、私は父のマークIIに乗り込むやいなや、すぐにお薬をのみました。
ほどなく効いて、つらかった症状がゆっくりとほどけていく感じでした。
つまり、パニック発作が極限まで達したうえにずーっと続いていた訳ですね。
往路は、ちょっと話をしただけでも吐きそうになるので、押し黙っていました。
復路は、吐き気が治まったので、パニック発作のことなど、父に話しました。
帰宅して、あれこれとやることを済ませたら「あれ?何か食べられそう?」と思ったので、昨日のお夕飯だったカツ丼を電子レンジで温めて食べました。
土曜日の16時から、新しく買ったミラ(中古の軽自動車)の任意保険が適用されるので、それまでは前の家には行かず、この家に運ばれたままの段ボールの荷ほどきをしたり、静養したりすることにしました。
ミラにどれくら積めるのかはたかが知れてますが、エンドレスに思えるこの引っ越しを、ミラをフル稼働して終わらせたいです。
体の話です。
減量は当然として、首と肩が凝る姿勢に気をつけたり、ストレッチをしたりする。
まもなく元夫も「ストレッチしたりして、これからは自分で気をつけないと」と言っていた。
ストレッチして緩和する状態を超えてしまって、夕べは寝る前に頭痛薬をのんだにも関わらず、ずっと頭痛を感じていて、みた夢はどっかの御曹司をその気にさせるため(玉の輿に乗るため)、あの手この手を使ってがんばっている(というのか?)という情けないものだった。
本心だと信じてもらいたいのですが、そういう願望はまったくありません。
好きになった人が、偶然そういう人だったら別だけどさ。
どっかの御曹司はジャスコ?イオン?の会長の息子か孫という設定でした。
うう、今も頭がガンガン痛いです。
ミラはプライドが高いのか、私が本を読んでいたり、ケータイでネットをやってたりすると、寄り添わない。
左腕をふとんに入れて抱いてやらないと、出て行ってしまう。
それは、前の家でもそうだったんだけど。
私の勝手に振り回されて、ストレスを感じたり、不安になっているのがモロわかりなので、ここから片手です。
やりづれー。
定位置に収まってくれたので、今日は、ここまで。
全然食欲はないけれど(起きてしばらくは何も食べる気がしないだけ。毎日)、私は元気になった。
私の神様が、すんごいカンフル剤を注入してくれたのだ。夢の中でだけど。
それは、木村拓哉くんがウチに遊びに来たという、はあ、でも夢の中ででしょ?的なものだけど、すげーよ。
MacBookも持ってきたし(ほんとは富士通使ってるんだろうけど)、もちろんiPhoneのBampもオッケーしてくれ、しかも彼が私のiPhoneを手にして自分でバーン!とやってくれたんだよ!夢の中での話だけど。
その日、お母さんは肉じゃがをつくっていて、きむたくはそれをおいしいと言って食べ、お母さんは舞い上がっていた。
もっともっとスイートでラブリーなことがたくさんあったけど、夢の中の話とはいえ、きむたくですからねえ、詳細は胸の中にとどめておきます。
古代進
私の神様、超クール。
なんて粋なはからいをしてくれるんだ、ちくしょう。ジーザス・クライスト・スーパースター。
病は気からって、ほんとだな。
引っ越し後、初めてデジイチで写真を撮りました。
ルミとかんちゃん
ルミは、基本的に犬がキライなんです。
温かさ優先か。
引っ越してから、睡眠薬をのんでいないので(まだ見つからないだけ)、毎晩、訳のわからない長編の夢をみる。
初日は、なぜかお義兄さんの夢だった。
翌日は、うーん、思い出せない(だったら書くな)。
夕べは、チュートリアルの徳井くんの夢だった。
これは嬉しい。幸せだ。
しかも、Bampをオッケーしてくれ、交換日記をしましょうか?とまで言われた(あくまでも夢の中でだよ。しかし、いまどき交換日記てw)。
毎晩、こういう夢をみたいものだ。
なんかタイミング悪く、えらく私の具合が悪いので(当然、引っ越しの荷造りもちっともはかどっていない)、夫が「旭屋に行こう。今日はアンキモがあるよ」と誘ってくれました。
私としては、昼間におおかた終わらせ、最後に手料理をウチで食べ、しみじみとロッキー1を一緒に観て別れを惜しもうと思っていたのですが、とてもとても。
アンキモのお刺し身。とろけます。
もりだくさーん!
今シーズン、最初で最後かも、と大将が言ってました。
とても引っ越し前夜とは思えないほど、生活そのままなのですが、
熱があり、
気持ち悪くて(帰宅してせっかくのアンキモを吐いてしまった)、
お腹が下っているとう、タイミングの悪さ。
幸い、パンダのトラック到着が3時予定なので、甘くみて、少し仮眠します。
どうせ最長4時間しか寝られないんだから。
今日は、実家の両親が荷造りの手伝いに来てくれました。
と言っても、実際に馬車馬のように働いたのは母だけで、父はかんちゃんを1時間以上散歩して後はずっとテレビを観てましたがw。
ぎりぎりましなものと上等な古着をブックオフに45リットルの袋6つ分持っていく。
値段がついたのは22点で、1,180円にもなった。びっくり。
きっと母が丁寧に縫った上質なお洋服に高値がついたのだと思う。
母が縫ってくれたお洋服(いわば、オーダーメイドだよね)は、とても捨てられなくて、着られなくなってもずーっとしまってあった。
でも、短大の入学式に着るために縫ってくれたグレンチェック(銀糸も織り込んである)のスーツ(スカートがプリーツでめっちゃカワイイ。30歳過ぎても着ていた)は、はちきれんばかりに思い出が詰まっているので、持って行くことにした。
それから、ハタチのときに買った真っ赤なスキーウェアも夢のような思い出があふれ返っているので、持っていくことにした。
今日は牡蛎フライを揚げようと思っていたのですが、思いの他時間が遅くなってしまったのと、私が疲労困ぱいしているので、残りもののカレー。
明日が最後の晩餐か。
さっき、チュートリアルの徳井くんとばったり逢って、握手してもらった。
信じられないかもしれないけど、ほんとです。
今、眠くて、疲れてて、体が冷えきってて、お腹も空いてるけど、
顔洗って寝ます。