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先日、父のメガネの下3分の1くらい(老眼鏡だと思っていたが、単なる近視矯正用だった)があまりにも曇っていたので「貸して」と言って磨こうとして、私はがく然としました。
曇っていたのは、汚れではなく、傷で文字通り曇りガラス化していたのです!

「お父さん!これはちょっと…新調しようよ、私がおごるからさ」

と言っても頑なに「いいんだ、いいんだ。メガネなんてこれでいいんだよ」と拒むのです。

母いわく、身の回りの物にお金をかけるよりも、その分旅行に遣いたいのだそうです。

ああ、若かりしころ、めっちゃおしゃれだった父はいずこに?
30年以上前(その頃はまだ『ブランド物』という概念はなかった)に、ピエール・カルダンの靴(当時で1万5千円したそうです)を買い、お会計をしている母の後ろで若者が「あんな靴を履く人種っているんだねえ」と羨望のまなざしで見ていたというのは、伝説なのか?

しかし、曇りガラスのメガネはあんまりなので、図書館が休館日の今日(父は毎日図書館に遊びに行く)、内原のイオンモールに行くことを約束させました。

「そのメガネじゃ、太田一高のエースのストライクがよく見えないよ」とか言って、「うん」と言わせるの大変でしたよ。

前もって調べたメガネの愛眼がよさそうだったので、父の車でそこへ直行。

チタンフレームの、なかなかすてきなのが買えましたよ。

最初は老眼のレンズが入ってしまい(なんで、測定のときわかんなかったのかね?)、さらに30分待って取り換えてもらいました。あの曇りガラスメガネは老眼鏡じゃなかったのか!と私は驚きましたが。
父は、近くのものはメガネなしで見て、遠くのものはメガネごしに見るという、いわゆる普通の近視だったのです。
老眼にならなかったなんて、信じられない。私ですら、老眼なのに。

「ほほう。良く見える」と、あったり前のことを言ってました。

だって…曇りガラスのメガネって…牛乳瓶の底以下では?

父がメガネのできあがりを待っている間、私はミスドでドーナツを買ったり、母と服を物色したりしてました。

父の運転で帰宅した私は、別件で、がく然。

キーホルダーが、ない!!

バッグの中身を全部出して探しましたが、やはりないので、軌跡をたどって電話してみたら、2軒目のイオン総合カウンターでビンゴ!
特徴を聞かれ「野球のグローブとボールがついていて…あっ、ミニチュアですよ、もちろん」と説明したら「リラックマもついてます?」「あっ、はいはい!ついてます!」ということで、無事、見つかりました。

でも、今日は、父のメガネがナイスになった以外は…てか、ハッキリ言って私はツイていませんでした。

まず、父の車に乗り込むと、なんか、水気を感じる。
見ると、いつも水を入れて持ち歩いているスタバのタンブラーのふたをよく閉めなかったらしく、こぼれてバッグの底に水が溜まってました。
iPhoneが無事だったのは、本当〜に不幸中の幸いでした。
バッグの中身はかなり濡れ、私のズボンもびしょ濡れになってました。

フリースのマフラーで可能な限り拭きました。

それから、イオンに内原郵便局が入っていたというのに、今日消印有効の懸賞ハガキを投函し忘れた。切手を買ったり、振り込みをしたりしたというのに!

帰宅後、わざわざ大きな郵便局まで投函に行きました。

そして夕飯後、父が「ドーナツ買ってたね。食べよう」と嬉しそうに言うので、私はお茶を煎れました。
買った内訳は、エンゼルテディパン3種(3人家族だから)と、必勝ドーナツさくらさくさく3つ、そして絶対ふたりは胸焼けするだろうから、と私の大好物のゴールデンチョコレートをひとつだけ、でした。

お茶を運んだ私が見たのは、ひとつしかないゴールデンチョコレートをにこにこして食べている母の姿でした。

がーん。

あんな甘くてくどくて甘くてくどいの、絶対私しか食べないと思ってたのに。

そして父は、こそこそとくまのドーナツのふたつめを食べようとして母に

「あらっ、もうひとつ食べてる!まいちゃんの分がなくなっちゃうでしょ!」

と、怒られました。そんなにおいしかったのか、くまのドーナツ。
父は残念そうに耳をちぎり(すでに片耳は食べていたので、耳なしのくまになった)、

「はい」

と、私に手渡してきたので「いいよいいよ、お父さん、全部食べなよ」と言ったら、嬉しそうに完食しました。さくらさくさくも食べたので「みっつも食べるなんて」と母に呆れられていました。

てか、70歳過ぎた老夫婦が、あんなに夢中になってミスドを食べるなんてびっくりですよ。

ひとりひとつぐらいじゃないと、食べ切れないかな?って心配してたのに。

たまに食べると珍しくて新鮮に感じるのかな?

可愛すぎてこんなの食べられな〜い。と、言いつつ食べちゃいました。

私はツイてなかったけど、父のメガネがいわゆるふつうのメガネになったので、嬉しいです。

猫と暮らす

元夫が「アド街が水戸特集だよ」と、メールで教えてくれたので、母とルミと3人で、母の部屋で観てきました。
ルミは、今年19歳になる老猫です。

ほんとは、私ではなく元夫が引き取る予定だったのですが、老い先短いので(たぶん)私が看取りたいと、予定を変更して私が実家に連れてきました。

そしたら、若い猫たちよりもずっと馴染んでいます。この家に。

朝は、ドアをするりと抜けて階下に降りて「なーごなーご」と母に甘えています。

人というのは動物になつかれると可愛いと思うみたいで、母もルミに返事をして可愛がってくれています。

そのうち、母がルミを抱いて寝てくれないかなーと、ムシのいいことを考えています。

だって、私のシングルベッドに3匹ですよ?

スペシャルポジション(私の左サイド)争いは絶えないし(機嫌がいいときは縦列で2匹寝ている)、足に乗られると重いし(苦しくて目が覚める)、でもまあ、私が選んだことですからね。

前は(ロフトベッドでないとき)は、犬まで乗ってることがありましたからね。

とまあ、愚痴っぽくなりましたが、実は、大変平和で幸せでございます。

猫は、神がつくりたもうた最高傑作の愛玩動物だと思っています。

母が地元のデパートに行くというので、運転手がてらお伴しました。

ここには、親戚が経営しているカフェが入っています。

この写真は今年のお正月に撮ったものです。

ひたちなか市に、母の兄の奥さんの弟(遠!)が創業したコーヒー屋さんです。
サザコーヒーといいます。

一度、現会長の鈴木誉志男氏にネルドリップでコーヒーを淹れてもらったことがあります。
舌がしびれるんじゃないかと思うくらい、おいしかったです。

そこで母にコーヒーとケーキをごちそうしてもらいました。

パナマ・ゲイシャというコーヒーは、1杯1,500円もして、びっくりしました。
なんでも、世界のコーヒーバイヤーにとって、競り落とすのが夢の豆らしいです。

その後、ウィンドウショッピングと、リアルショッピング。

何軒ものブティックの店員さんが、母に挨拶をするのでびっくり。
顔パス!?
母いわく「顔じゃなくて、買った服を覚えているのよ」なるほど。
今日着ていたコートも「よくお似合いになってますよ」と声をかけた店員さんがいましたっけ。

そそ、そして私は、久しぶりに2,000円以上の服を買ってしまいました。

アリスバーリーに、私の身体がはいる服があるなんて、夢にも思いませんでしたよ。
クロップドパンツを買ったのですが、穿いてみて驚いたのは、実際よりもスタイルが良く見えたのです(もちろん、たかが知れてますよ)。

「えっ。私、もっと太ってるのに!」と、試着室で呆然としてしまいました。

やっぱり、しまむらとかサンキとかと違いますね(失礼!これからも愛用させて頂きますから!)。

夢見心地でお買い上げ。

うーむ。やっぱり高くて良いものは、たしかに良いのだな。
てか、このトシになったら、いい加減安物の服を着るのはやめるべきかも(即刻やめなさい)。

母は、流行とコーディネイトを参考に行ったそう(母はとてもおしゃれなんです)。
選びに選んで、カットソーを買ってました。

その後、セールになっていた父のベストを買い、お総菜を買ってデパートを出ました。

ニトリに寄って、私は部屋におく姿見、母はスツールを購入。

貧乏くさい不細工なムスメを連れて、母は恥ずかしかったかもしれないけど、楽しかったです。

メッセージ

ちょっと深い内容なので、今日は書くのはやめよう(頭使うから)と思っていたのですが、やはり、今日書かねば、と思って、つたない内容になりそうですが、書くことにしました。

離婚のアナウンスをしたら、すぐさま、ネット友の尊敬しているぼら姐さんが、すてきなセミナーに誘ってくださいました。
スケジュールがけっこう先だったので、その頃だったら少しは落ち着いて上京できるだろう、と喜んでお受けしました。
セミナーもとてもすてきそうだったし、ぼら姐さんのご厚意がとても嬉しかったのです。

しかし、今回の離婚&引っ越しは、思ったよりも私を弱らせました。

離婚前から、けっこうストレスがたまっていて身体表現障害がひどかったので、拍車がかかったのも無理はなかったのでしょう。
たとえば、半日咳が止まらず、そのうち数時間吐き続けるとか。
離婚前の話ですけど。

そして夫に離婚を切り出され、両親に報告しましたら、母は一刻も早く私を呼び戻そうと思ったようなのです(母、怒ってましたね)。

しかし、私のために部屋を空け、待っているのにちっとも事態が進まない。

離婚の話は、たしか、年が明けてまもなくだったような気がします。

そしたら、引っ越しは2月3月と日が経つにつれて混みあい、料金も高くなるという話も聞き、母はさらにがんばって、受け入れ態勢を整えたのです。

しかし、体調は悪いし、私ひとりで進められる話ではないし、ずるずると日にちが経ったある日、電話で母は声を荒げてこう言いました。

「あのね。お母さんはタカヒロ(弟)と重い物を運んだり、大変な思いをして部屋を空けたのよ。今月中(1月中)には帰ってくると思っていたのに」

それを聞いた私は慌てて引っ越しの見積もりをし、1月28日を引っ越しの日と決めたのでした。
籍はまだ抜いていませんでした。
つまり、別居ですね。

しかし、引っ越しは重労働です。

直前まで、そんなに具合が悪かった人間(しかも根性なし)に耐えられるものではなかったのです。

母と私の意見も食い違っていて、母は「身ひとつで戻って来い」という気持ちで、私は「身の回りのものはなるべく持って行きたい」という気持ちだったので、引っ越しのオーダーが中途半端になってしまい、積み残しが大量に出たのです。
何しろ、母は「業者なんて頼まなくていい」とまで言っていたのです。
乗用車だけでって…(そ、それはちょっと、ですよね)。

もうそろそろ1ヶ月が経とうとしていますが、引っ越しは終わっていません。

でも、足りないものはあるし、前の家はしっちゃかめっちゃかだし(元夫はその中で暮らしています。がまんしてくれているのです)、気持ちばかりが焦り、自分の体調もよく把握できずに、ムダに実家と前の家を往復したりしていました。

火曜日に「あと1〜2回往復すれば、片づくかも」という前提で、前の家に行く予定でしたが、すごーく具合が悪く、使いものになりそうもなかったので(私が)、翌日に延期してもらいました。

翌日、家を出るときは元気でした。

しかし、片道1時間半の運転で私は疲労困ぱいし、眠くなってしまうし、結局この日も全部持ち出すことはできなかったのです。
元夫と「来るだけでこんなにふらふらになっちゃうなんて、困ったね」と言いあいました。

その日の帰り、私は用事があって教会に寄りました。

そしたら、司祭様が

「提案があるんだけど。僕の車、ワンボックスで大きいでしょ?土浦駅まで電車で来たら、荷物を積んで実家まで乗せてってあげるよ」

とおっしゃったのです。

私、往きの運転で疲れてしまって困っているとか、引っ越しがなかなか終わらないなんて、ひとことも言ってないんですよ。

私の神様、超クール。

すごいよ、ジーザス・クライスト・スーパースター。

そして、家に帰りました。
当然、疲れてました。ばたんきゅー状態でした。
翌日(つまり昨日)、朝から廃人になってました。

セミナーは、2日後です。

よっぽど、この時点でぼら姐さんに連絡してキャンセルしてもらおうか、と迷いました。
しかし、あきらめがつかず、今日一日静養すれば、2日後には東京に行けるのでは?と淡い希望を抱いていました。セミナーに行きたかったんですよ〜。ぼら姐さんにもお逢いしたかったし。
しかし、具合が悪いのなんのって。
犬猫の夕飯すら自分で与えることができず、母にロフトベッドから頼みました(完全に上から目線です)。
夜が最悪でした。
体中が痛く、足が何かに引っ張られているかのように、だるい(横になっているのにですよ)。
胸が苦しい。
本気で、お迎えが来たかな、と思いました。

今朝、生きて目が覚め、夕べの悪夢のような体調よりはましになっていましたが、今日一日寝ていたとしても、明日は無理。と思い切って判断しました。

7時前に、ぼら姐さんにメール(ものすごく忙しい人なので、こっちの都合で電話などかけられない)。

そして、気になっていたことを決断して安心したのか、ベッドの中でぼんやりと考えました。

単純なことですよ。

これは、神様が『行くな』と言っておられるにちがいない。

だから、体にダメージのメッセージを送っているのだろう。

きっと、明日行っても、自分が具合悪くなってがまんするか、ぼら姐さんに心配と迷惑をかけることになるんだろう。
だから、神様は「やめなさい」って言ってるんだ。

なーんて、こどもじみたメールをご多忙なぼら姐さんに送っちゃいました。

さすがに今回の連絡はメールだけでは失礼だろう、とさきほど電話をかけたら、留守電だったので、ひとことだけメッセージを残しました。

そしたら、返す刀でこころ優しいメールが来ました。

「そういうことになっても(具合悪くなったりしても)気にしませんよ」って。

嬉しかったです。ぼら姐さん、ありがとうございます。

でも、なんとなく、私は自分に送られたメッセージを信じようと思います。

直感を信じるというか。

だから。

引っ越しは、失敗でしたね。
昔から、母に怒られることには、滅法弱いんです。

きちんと離婚して、元気になってから、堂々と家を出ればよかったです。

両親は、かんちゃんに夢中。

朝、父が1時間半くらい散歩に連れて行ってくれ、夕方は母が同じくらい行ってくれる。
それぞれ、自分の運動も兼ねて、という訳ですが。

父が帰ってくると、足を拭くために母が出迎える。
そして、ふたりして、きゃっきゃっ、きゃっきゃっ、と、どんなことがあったか話している。

母が最近こう言った。

「かんちゃんは、つまらなくなると、白目が出てくる(ふだんはほとんど黒目)」
「最初は素直に足を拭かせていたのに、最近はひっこめてしまう」

バカな犬だ。

散歩ざんまいで、ここってパラダイス!と思っているにちがいない。

もう、前の家のことも、元夫のことも、のんちゃんのことも忘れてしまったかも(さすがにそれはないか)。

もうすでに私はかすがいではなくなり、かんちゃんが両親のかすがいとなっているのであった。

もう何回目だ。

引っこ抜かれたスパティフラム

あるじを失った鉢


鉢を落とされないだけ、ましかも。

もうあきらめた方がいいのかな、このスパティフラム。

今日は猫の日でしたね。

せっかくなので、きょうのにゃんこを紹介しましょう。


ララちゃん。7月生まれぐらいらしいので、今、7ヶ月ぐらいか。
三毛猫が大好き!!
全然人慣れしていないという野良猫を、小学校時代の友達に頼み込んで捕獲してもらった。そしたら、すごくなついてくれた。可愛い。すっごく可愛い。
しかし、かんちゃん、緊張感ねえよ。犬のくせに。


ルミーナ。やはり7月生まれぐらいだったような気がする。
なんとこの夏で19歳!!
もらった当時は、生まれた日を覚えておくなんて風潮なかったもんな。
ここだけの話、最初の夫と結婚していたときに飼っていたアビシニアンが産んだ子です。離婚後に産まれたのをもらったのです。次の夫しか、そのことを知りません。
今、この家に一番なじんでいる猫。ベテランは違うね。


ミランダ。文句なしに可愛い。なんといっても可愛い。愛称ミンミ。
えーと、2004年6月25日産まれ。もう今年で7歳か。早いなあ。

今日は、前の家に行って、残りの荷物をまとめ、掃除を(少しはね)する予定だったけれど、微熱があるし、なにしろ疲れているので、明日に延期してもらった。
ありがとう、元夫よ。

こっちに持ってきた段ボールは全部開けて、整理し(ある程度ね)、ないものなどがはっきりしたので、せっかちだし、正直すごく行きたいのだけれど、強行するとまたふらふらになってしまうので、今日は家でゆっくりすることにした。
具合が悪くなると、両親にも心配をかけるし。

それに、今朝は4時に起きたのですが、実は、カンペキ風邪の症状だったのです。

ごっつい口内炎もできてるし。

メール便を2通出す用事があるけど、歩いて5分くらいのところにセブンイレブンはあるし、ヤマトの人に来てもらってもいいし(そうすっか)、かんちゃんの迷子札を物色したり、愛のメモリーを物色したりするか、ネットで。

夕べは胸が苦しくて、お風呂に入ろうと全裸になったにもかかわらず、やめました。
そして、自分の生命力に自信がなくなり、お母さんを脅すつもりはないけれど「万が一のときはここに連絡して」と、教会の司祭様のケータイのメモを渡しました。

信じられないかもしれませんが、私、今、生命保険・医療保険・傷害保険に全然入ってないんです。
夫婦セットで全労災とか入ってたんですけど、ほら、離婚しちゃったでしょ。

教会のお葬式は、そんなにお金かからないと思うし、お墓も共同墓地に入れることになってます。

土曜日は、ぼら姐さんが誘ってくれたすてきなセミナーがあるし、それに関連した貸してくれた本も未読なので、のんびりと読むことにします。

と、言いつつ、5分後に死んでもかまわないと思っている私でした。

今日は、両親が栃木県の湯西川温泉に日帰り旅行に行ってきました。

私はそれを聞いたとき「エッ!?あの辺鄙で山深いところに日帰りで!?」とびっくりしたのですが、まあ、内容はかまくらを見物してお昼を頂き、温泉に入るだけなので、日帰りでもそんな強行軍ではなさそうでした。あちこち寄らなければね。

湯西川温泉は、今から20年以上前、勤務先の人たちとスキー旅行に行ったことがあります。
私は既に異動していたのですが、その前に籍があった本店営業部の融資課が有志でプライベートで行くという主旨で誘ってくれたのです。
有志と言っても結局全員で、しかも全員家族連れでした(もちろん、独身者を除く)。
いかに人間関係が良かったか、おわかりかと思います。
運転手さんつきの小型バスを借り切って、すごい崖の山道を進んだことが印象に残っています。

もうひとつ印象に残っているのは、離れで頂いたお夕飯です。
囲炉裏にかけられた寄せ鍋だったのですが、仲居さんが取り分けてくれたとんすいに入っていた湯葉がおいしくて、私はあごが落ちるかと思いました。

私にとっての、湯葉初体験でした。

もっと食べたい。

そう思った私は、大鍋を必死でかき回して探しましたが(な、なんて食い意地が張っているのでしょう)、どうやらひとりひとつずつだったようで、誰かがふたつ食べてしまわないように仲居さんがあらかじめ取り分けたのでした。

2日目、みなでゲレンデを滑降しているとき、課長が

「あー、もうすぐ終わりか。遊びが終わっちゃうって、さみしいなあ」

と、つぶやいたのですが、この人は人生を楽しんでいるんだなあ、と尊敬の念を抱きました。
当然、仕事もすごくできる人でした。

こうして思い返すと、なんてすばらしい旅行だったんだろう、と思いました。
パーフェクトですね。
湯葉がひとりひとつずつだったことを除けば(あんた…)。

実篤!

かぼちゃの絵でも描きたいくらいだ。

かあちゃん、うれしいよ。おまいらが仲良くて。